第5号

もくじ

◆5号の発行に向けてナマステ
◆活動の基本、目的
◆ホームの子供達は元気に学校へ
「魚谷早苗」ネパール訪問印象記#5
◆バルナ・ムーナ・スクールの子供達から沢山のお手紙をいただきました
◆ネパールからのお便り
◆ネパリ・バザーロからのお便り
◆ご寄付名簿
◆子供達の絵を楽しんでください!
◆編集後記

ニュースレターページへ戻る次号へ進む



◆5号の発行に向けてナマステ
 皆様の暖かい激励に支えられて、この会報も5号を出す運びとなりました。活動の準備を始めてから約3年、この会が発足してから2年経ち、創刊号を発行してから1年半が経ちました。ゆっくりではありますが、着実に前進しています。多様な価値観の中で、1歩後退、2歩前進し、都度、ベストウエイを考えていきたいと思います。その活動の状況を、この3月の現地視察も織り混ぜてここにご紹介します。そして、皆様と共に前進できたら光栄に存じます。また、ネパールの生の姿が、たとえ一部であったとしても、ご紹介できたらと願っています。    
目次へ

◆活動の基本、目的
 1.ソフト面を含めた学校作り
  識字率向上、人材育成、女性の自立手段作り
 2.教育里子支援
  将来のリーダーの育成
3.ホーム支援
 活動に際し、現地での子供達のドロップアウトのケースが多く、その原因が、親の経済的理由によることが多い事実を認識し、この課題に少しでも取り組むため、長期的観点より、有志が別途会社(ネパリ・バザーロ)を設立し、トレードをしています。
 会費制度を持たないこの活動の資金源は、暖かいご寄付と、仕事の提供と我々自身の自立を願って設立されたネパリ・バザーロの力を借りたバザー活動が基本になっています。
 通信のタイトルは「緑の学校」というエスペラント(語)を使っています。これは、ネパールに寺子屋でも良いから作ろうと計画し、「国境を超え、民族を超え、思想を超え、共に生きる」との願いに由来しています。年に、3〜4回発行を目標に進めてまいります。     
目次へ

◆「ホームの子供達」は元気に学校へ!
 昨年の夏に、大規模な水害がありました。その影響で親を失ったり、家がなくなったりと、環境問題はここネパールでも無縁ではありません。親のない子供達を我が子のように育てているモーニング・スター・チルドレンズ・ホームも24人になりました。皆、元気に学校へ行っています。    
目次へ

◆「魚谷早苗」ネパール訪問印象記#5
 3月の下旬に3度目のネパールを訪れてきました。今回は会の活動を離れ、職場の友人と出かけ、目的もポカラやミニトレッキングの観光でした。これまでの2回のネパール訪問ではカトマンズ周辺しか行ったことがなかったので、ネパールの人たちがぜひ行くようにと勧めてくれる郊外にも行ってみたかったのです。有名な寺を訪ね、土産物屋街をぶらつき、飛行機でポカラへ飛び、1泊だけですが山へ登りアンナプルナの白い山々を飽きることなく眺めてきました。そんな旅でしたが、ポカラへ飛ぶ飛行機が一緒だった日本人の方々が実はポカラ周辺にいくつも学校を建設しているグループの方で、トレッキングの登り口に行くとそこで生徒達と交流会をしていたり、お世話になった宿のご主人から点字の指導と翻訳の活動の話を伺ったり、いろんなところでいろんな人が活躍しているのだと改めて感じさせられました。
 カトマンズを離れたら清潔だ不潔だと言っていられないと知り合いのネパールの人にいわれましたが、水道も電気もないダンプスの山の上の村はこざっぱりしていて居心地の良い場所でした。観光客のためだけのロッジではなく、その家の人も一緒に暮らしているためか(私たちが夕食を食べているテーブルでその家のおじいさんも食事をとっていました)ロッジの隅々まできれいに使い勝手よく整えられていました。水を貯めた共同の水場、丹念に石を積み上げた塀、青菜や麦が育つ畑、はためくタルチョー、夕暮れに飛ぶ虫を追いかける子供達・・・ネパールの人が排気ガスと砂ぼこりのカトマンズには住みたくないと言うのがよくわかる安らぎのある暮らしぶりでした。・・・けれど、ふと見方を変えると村の人が村を出るには私たちがヒーヒーとネをあげながら登ってきた2時間弱のあの急な石段を、しかも荷物を抱えて上り下りしなければならないのです。山を下りる途中の小さな売店を制服姿で手伝っていた女の子はどれだけ歩いて学校に行くのでしょうか。杖をついてゆっくりゆっくり登っていたお爺さんはどんなに疲れ果てても家まで登り続けなければいけません。旅人のロマンでいいとばかりは言っていられません。
 さて、ビシュヌさんのホームの元気な子供達にも会ってくることができました。宿題をしている最中にお邪魔して、時間もなく、一緒に遊んだりできなかったのが残念でしたが、子供達から明るい笑顔で迎えてもらうと、とても嬉しい気持ちになります。最近ビシュヌさんはストリートチルドレンのためのクリニックを作りました。毎日彼らを訪ねて関係を築き、病気や怪我の子供がいれば自分のバイクに乗せてクリニックへ連れてきて治療をしてあげているのだそうです。毎日彼らの暮らす繁華街や観光地を廻り、昼の数時間はクリニックを開き、午後は教師の仕事をし、ホームの子供達のもとに帰るという驚くほどの忙しい生活を送っているようです。
 驚く私たちにビシュヌさんは「忙しいのは好きだから」「ホームがうまくいっているので街の子供達のために時間ができた」と明るく笑うのでした。繁華街の地下に借りているそのクリニックを訪ねたときは残念ながらビシュヌさんは不在で、机と椅子がぽつんと置かれた小さな部屋にはわずかな薬類と本とビシュヌさんのバイク用手袋が置かれていました。バイクを置いて近辺の子どもたちを訪ねていらしたのでしょう。この殺風景な部屋が頼る人もなく道端で暮らす子どもたちを優しく迎えていえいるのだと思うと、その手袋が暖かな光を発しているように感じられたのでした。     
目次へ

◆バルナ・ムーナ・スクールの子供達から沢山のお手紙をいただきました
 ブワン君、ミラちゃん(注:会で教育里子支援をして、合宿生活をしている子供達です)のお世話を頂いているバルナ・ムーナ学校の生徒さん達から沢山のお手紙を頂きました。昨年、横浜市の教育委員会の紹介で、テレビ神奈川からの国際交流をしている団体の紹介をしたい旨、取材依頼があり、現地までは行けないとのことで、私たちで、ホームビデオを撮影させていただきました。その際にお会いした、米国の青年(先生)ジェフが受け持つクラスからの生徒達です。積極的に海外文通をさせて、子供本来の素質を延ばしてあげて、国際的視野を持った人材を育成したいそうです。米国とは文通を始めたそうですが、残念ながら、日本とは、言語ギャップがあり難しいでしょうか。良い提案があればお知らせください。小5の生徒さんのお手紙を一部ご紹介します。
目次へ

◆ネパールからのお便り
              − Kazumi A. Sharma −
 (注)ネパールの牧師(ならやんさん)と結婚され、人生を共にされている日本女性。この会で、ご協力を頂いています。
 皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 こちらは3月に入り次第に暖かくなってきました。庭先にはデージー、スイートピーなど花々が咲き、鳥たちも元気にさえずっています。
 私は11月下旬、夫と娘の愛ちゃんと共にネパールに戻ってきました。この時期はネパールでももっとも寒く、朝晩吐く息が白くなるほどです。レンガとコンクリートで作られた家はとても冷たく5ヶ月の娘を抱えての冬越えには厳しいものがありました。特に今回辛く感じたことは洗濯でした。さすがに赤ちゃんがいると洗濯物がたくさん出てきます。おむつや服がいくらあっても足りません。また、洗濯してもしても後からドサッとわいてきます。そんなこんなで、ついに私は腰痛になり手の指も痛んで曲がらなくなってしまったのです。始めのうちはナラヤンさんが「ボクは人間洗濯機だ」とおどけて頑張ってくれていましたが、何しろ彼はインド出張が月に1回はあるなど多忙で限度があり、ついに見るに見かねたビシュヌさん(注:ホームを親代わりでケアしている方)が週2、3日ホームの年長の女の子3人を交代で送ってくれるようになりました。彼自身、貧血と冬になると手足の末梢血行障害に悩まされて大変な中、わざわざバイクで片道30分はかかる寒い道のりを往復してくれました。洗濯、おむつ交換、沐浴、子守と本当に助かりました。
 また、ナラヤンさんのオフィスの人たちが買い物、修理など困ったときにはいつでもすぐ来て助けてくれました。少しオーバーな表現かもしれませんが、ホームの子供達、友達がいなかったら、私たち親子はこの寒い冬を越せなかったでしょう。今は勇気ある決断をして洗濯機を購入し、元気で暮らしていますので安心してください。
 それにしても普通のネパール人女性はたくましいというか、厳しい中よく耐えているなと感じます。寒さも慣れて(?)いるのか素足ですし、あの薄っぺらいサリーだけです。洗濯ともなると冷たい水で大丈夫という・・まあ、洗濯するという意味を考えると首をかしげたたくなりますが。というのも洗濯おけの水は真っ黒、どう見てもあれは洗うというより水に浸しているだけというものです。もちろん、日本人以上の上流階級の人は召使いを使って優雅に暮らしていますけれど・・・。
 この冬ビシュヌさんのホームでは色々な出来事がありました。
 まず、アパートを移りました。今までの所は水が不足し洗濯物やシャワーなど不自由であったため新しいアパートに移りました。新しいアパート代は月8000ルピーで、イギリス人の友人がこれが限度という額を支援しています。場所は今までの所からすぐ近くです。また、ビシュヌさんホームで何人かの子供達が出入りしたのですが、その中で生後10日目の赤ちゃんがいました。父親は酒と暴力により行方不明、母親は病弱で出産後死亡。身寄りのなくなったその赤ちゃんをビシュヌさんは病院から連れてきたのです。 <次号に続く>  
目次へ

◆ネパリ・バザーロからのお便り
              土屋春代
 ご協力、いつもありがとうございます。おかげさまで、今年は例年と違い、2月に訪ネしました。ベルダレルネーヨ(建設の会)のメンバーとも合流ができ緊張の中にも楽しい時間が過ごせました何よりの収穫は、現地との信頼関係が少しずつ出来てきて、格段に製品の質が向上してきたことでしょうか。
 仕事を通じて現地を見ていると、また違う面が浮かび上がってきます。やはり、仕事が少ないので、皆でシェアーしているようですし、自立を真剣に考えている方達は、自ら、職業訓練とトレードを目指しています。そのためには、国際競争力のある製品作りをお願いし、輸入していく必要があります。NIES、ASEANがそうであったように、ここネパールもまず労働集約的産業が栄える必要があると思っています。でも、悪い面は参考にして欲しくありませんが。
 先日、テレビでインドネシアの未開発地域の人々とのファースト・コンタクトの模様を放映していました。その中に、ある酋長の言葉で「私たちも、あなた方と同じ服を着たい。この厳しい生活状況で次にお会いするまで生きているかわからない。子供達には、明日のために教育を受けさせたい。」には考えさせられました。1992年4月5日のアジア女性会議が、戸塚の横浜女性フォーラムで開催されましたが、バングラディッシュの女性が話した言葉「貧困にロマンはない」を思い出しました。
 さて、私たちの扱う製品は、ごく一般に着て満足のいくものを目指しています。また、オシャレ着としても通用するものを目指しています。ご協力頂いているメンバーもその道のプロですので、ネパールへの良い影響も期待しています。今年から、少しは新しい協力も始めたいと思案しています。  これからも、開発に努力してまいります。ご協力を宜しくお願いいたします。 
目次へ

◆ご寄付名簿
 前回以降、寄付を頂いた方、以下、ご紹介させていただきます。ありがとうございます。
 大槻様、磯村清治・愛子様、国立市田中康子様、広田様&ご友人一同様、秋山美津子様、金沢市栗野様、渡辺様、長野県諏訪市のエスペラント合宿みどりの学校の皆様、土屋裕美、魚谷早苗、久田智子、土屋春代。  
目次へ

◆子供達の絵を楽しんでください!
  ホームの子供達24名が、すばらしい絵を送ってくれました。画用紙いっぱいにサインペンで描かれた絵には、各々の個性がひめられています。
 テレビの影響を受けていないせいか、ごく身近なものが題材となっていて、ネパールの山々や花、木などの大自然もいっぱい。色も実にカラフルです。
 ホームのような建物を描いてくれている子も多く、庭に花が咲き、にわとりが歩いていたりして、日常の風景が目に浮かぶようです。中には、勉強好きなのでしょうか、ネパールの地図を詳しく描いてくれた子もいます。将来が楽しみです。
 カラフルな色使いで描かれた絵を見ていると、子供達が明るくのびのびと成長している様子が想像できます。これらの作品一つ一つを皆様にご紹介できないのは残念ですが、ごく一部を本誌に載せていますのでご覧ください。  
目次へ

◆編集後記
 この通信に対するご感想、ご意見があれば、どうぞ事務局宛お便りをお願いいたします。
 現地で協力していただいている和美さんは、体調があまり良くなく、心配です。早く全快になって欲しいと祈っています。
 今年は、協力メンバーも増えてきました。年齢も幅広く、お国柄も多様化してきています。活動開始当時と、現在では状況も変わってきています。皆で話し合いつつ、着実に前進したいと思います。  新メンバーの紹介を、次号でさせていただきたいと思います。(早苗・智子・完二)   
目次へ







  <common@nbazaro.org>
  ご意見、ご感想をお送り下さい

This page is presented by Nepali Bazaro.
All rights reserved.