第6号

もくじ

◆装いを変えて ナマステ
◆活動のご紹介
◆ネパールからのお便り
◆ホームの近況です
◆小学校からのお便り
◆新メンバーの紹介
◆ネパリ・バザーロからのお便り
◆おめでとう、サマルさん!
◆ご寄付ありがとうございました
◆編集後記



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◆装いを変えて ナマステ
 1992年秋に創刊号を発行してから2年が経ち、通信も第6号となりました。通信を受け取ってくださった方々に、ネパールの状況、厳しさだけではないネパールの魅力、子どもたちの様子、活動する会のメンバーの思いをお伝えしてきたつもりです。今回から編集の担当が代わり、それに伴って通信の装いも少し新しくなりました。会のメンバーも増え、それぞれの思いを結集して生まれるこの通信がさらに皆様に楽しんで読んでいただけることを願っています。(早苗)  
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◆活動のご紹介
 ネパールの子どもたちに教育の機会を、と発足した私達の会は、支援や交流を通してネパールの人々と協力しあい学びあい共に成長していける活動をめざしています。
@ 27人のストリートチルドレンを引き取って家族同様に育てているビシュヌさんのホーム(モーニング・スター・チルドレンズ・ホーム)に生活費や教育費の資金援助をすると共に、手紙の交換や訪問により交流を深めています。
A 2人の小学生に学費と寄宿舎での生活費を援助すると共に、2人の通うモデルスクールとも連絡を取り合い情報交換をしています。
   会の資金はバザー活動を基本とし、暖かいご寄付も受けながら運営しています。バザー活動で多大な協力を得ているネパリ・バザーロはメンバーの一部が設立したネパールの物品の輸入会社です。経済活動の厳しいネパールが発展していくためには多額の寄付金に頼るだけではなくネパール自身が自立できる力をつけていかないといけません。親に収入源があることが子どもが学校へ行けるかどうかを左右します。ネパリ・バザーロは、女性の自立をめざすグループ等から商品を仕入れて仕事の場を提供し、さらに市場を拡大していけるだけの技術の向上ができるよう品質アップのための話し合いを重ねています。  
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◆ネパールからのお便り
                   〜 Kazumi A. Sharma 〜
 和美さんはネパールの男性と結婚してカトマンズで暮らしています。前号に載せきれなかったお手紙の続きをご紹介します。
 この冬ビシュヌさんのホームではいろいろな出来事がありました。
 まずアパートを移りました。今までの所は水が不足し洗濯物やシャワーなど不自由であったため新しいアパートに移りました。新しいアパート代は槻8000ルピーで、イギリス人の友人がこれが限界という額を支援しています。場所は今までの所からすぐ近くです。また、ビシュヌさんホームで何人かの子どもたちが出入りしたのですが、その中で生後10日目の赤ちゃんがいました。父親は酒と暴力により行方不明、母親は病弱で出産後死亡。身寄りの亡くなったその赤ちゃんをビシュヌさんは病院から連れてきたのでした。何年かぶりのことだと苦笑いしながらおしめを替えたりミルクを与えたりてんてこまいでした。ホームの子どもたちも小さな小さな赤ちゃんをとても可愛がっていました。ミルク代は高いだろうな、などと私が心配しているうちに運良く近所の子供のいない夫婦にもらわれていきました。1ヶ月の滞在でした。今でもビシュヌさんは時々様子を見に行っているそうです。  こんなこともありました。ある日ホームの新しい子供が教会学校に通っているとき突然いなくなったのです。ビシュヌさんは新聞・ラジオ・テレビにその子供の写真を出し、自分もあちこち町中を探し回りました。村から出てきたばかりの子供でしたのでカトマンズのことはわからず、この寒い中どこで寝て何を食べているのかと思うとビシュヌさんは夜も眠れず食事も喉を通らなかったといいます。私にできることはただ無事を祈ることだけでした。結局4日後テレビでその子供を見た人から連絡がありバクタプル(バスで1時間の所)にいることがわかりました。日本でもよくあるように知らない人についていったらしいのです。働き手として子供を誘拐するケースも多いそうです。とにかく無事保護されて一安心でした。
 またこの2月からシンガポール人の一部支援によりタメルに簡易診療所を開設しました。診療所といってもオフィス通りの一室を間借りしただけでナースも週2、3日、1日2時間ボランティアで来てくれるだけのものです。ドクターには今コンタクトを取っているところです。ビシュヌさんは早朝6時からタメルやパタンなどストリートチルドレンが野宿していそうな所を訪問し子どもたちと触れ合うことから始めています。子どもたちの多くは村から単身家出をし夢見てカトマンズにやってきます。しかし、カトマンズに来てもそうやすやすと職はなく結局食事もとらず一日中道路脇に寝て、怪我をしてもほったらかしという生活を余儀なくされるのです。挙げ句の果て人生に失望し麻薬に手をつけ社会問題にも発展するケースも少なくありません。ビシュヌさんはそんな彼らと対話を持ちながら、まず彼らの社会に対して閉ざした冷たい心を開かせるよう愛を持って接しています。とりあえず怪我をしている子は診療所につれてきて処置をし、寒さに震えている子には服を与えます。その上で村に帰ることをすすめたり、または子どもたちにできる仕事(靴磨き、自転車の修理など)への適切なアドバイスを与えています。とても忍耐のいることです。
 私にできること・・・薬や古着を支援すること、時々ボランティアで診療所に行くこと・・・そのことで少しでも彼を支えられたらと心から願っています。
 ビシュヌさん自身、低血圧、貧血、末梢血行障害、視力障害で健康的にも厳しい状態であるにも関わらず、見捨てられた子どもたちのために日夜努力しています。彼を支えているものはキリスト教の愛−無償の愛、隣人愛、信仰、希望、そして多くの人々の暖かい心なのです。  カトマンズは年々あらゆるものが一局集中するようになり、排気ガス、公害、物価の上昇で治安も悪化し、ますます子どもたちを取り巻く環境に悪影響を及ぼしています。安全な環境、教育、医療、経済等の充実など、途上国の抱える問題はどこの国でも同じです。すべてが備わっている日本では想像できませんが、それら一つ一つの問題を解決するにはどれだけに時間と労力が費やされるか、考えるだけでもため息がでます。
 ちなみに最近のデータをあげておきます。
  日本 ネパール
識字率 100% 26%
乳児死亡率 5人 90人
(1000人出生)
医師人口 610人 16830人
(医師一人につき)
とにかく、先進国の人も途上国の人もそれらを自分の問題、地球全体の問題としてまず現状を把握し、その上で一人一人ができること、国ができることを考えて行動していくしかないと思います。忍耐、寛容、愛です。
 では、今回はこの辺で。ナマステ。    1994年3月    
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◆ホームの近況です
 和美さんから報告以後も、ビシュヌさんのホームにはいろんなことがありました。
   まず、せっかく越した新しいアパートでしたが、家賃を援助していたイギリス人の友人が払いきれないということで、もっと安い住まいを探さなければならない事態になりました。せっかく見つかった(ネパールでの家探しは想像以上に大変です)暮らしやすい住まいからレベルダウンすることも残念ですし、頻繁に引っ越すことの子どもたちへの悪影響も考え、家賃の不足分を私達の会で支援することになりました。
   カトマンズの和美さんからビシュヌさんに伝えてもらいましたところ早々にビシュヌさんからお手紙が届きました。ビシュヌさんからはもう何通もお手紙をもらっていますが、新居に落ち着けたことをビシュヌさんだけでなく子どもたちもとても喜んでいることが伝わる今回の手紙を、私たちも嬉しく読みました。ホームもクリニックも順調で、子どもたちは学校でも家庭教師の英語でも頑張って勉強しているようです。
 9月にメンバーの春代がカトマンズへ行って、ビシュヌさんにもお会いしてきました。ホームの子どもたちはさらに人数が増えて28人となりビシュヌさん夫婦を含めて総勢30人の大家族となっていました。大人数になると最低限の生活費だけでも膨大で、子どもたちに栄養のいい物を食べさせてあげたいとビシュヌさんも妻のムナさんも苦労されているようです。加えて、和美さんの報告にもあるように、お体の丈夫でないビシュヌさんにとってこれからの厳しい寒さは体力的につらい季節です。28人のホームの子どもたちだけでなく、クリニックに集まるたくさんのストリートチルドレンの生活がビシュヌさん一人の肩に掛かっている現状ですが、安定して継続していける条件整備をビシュヌさんも考え始めているようです。私たちも微力ながらも長く応援を続けていきたいと思います。    
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◆小学校からのお便り
 バルナムーナ小学校の先生からお手紙が届きました。このモデルスクールには、私達の会が学費を援助している2人の小学生が寄宿舎生活をしながら通っています。お手紙をくれたのは、その一人ミラちゃんの担任の先生です。
 私は地理の教師で、4年生のミラちゃんの担当です。みなさんが支援しているミラちゃんの成長ぶりを知りたいと思っていらっしゃることでしょう。彼女は親切で礼儀正しく、実に一生懸命やっています。理科、英語、つづり方が特によい成績で、全体を平均してもクラスで2番です。遅刻や欠席もありません。
 私はアメリカから来ましたがあと1年はここにいる予定です。ミラちゃんについて何か知りたいことがありましたらお手紙をくだされば喜んでお答えします。
この小学校では他にもアメリカやオーストラリアから来た教師を受け入れていて、明るく活発な授業を行っています。ミラちゃんやブワン君も国際的視野を持った知識を学んでくれていることでしょう。  
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◆新メンバーの紹介
 私達の会にも少しずつメンバーが増えてきました。国も職業も様々な人たちが集まり、様々な視点から意見を交換しあいながら、よりよい活動を目指していきたいと思っています。今回の号では、新メンバーのうち二人を紹介しましょう。サマル・マンさんと、太田昌治さんです。
 皆様、こんにちは。
 私はネパールのサマル・マン・シュレスタと申します。6年前に日本にやってきました。最初は観光のつもりできたのですが、いればいるほど日本が好きになり保証人の家にホームステイしながら、日本語学校2年、観光専門学校2年、東海大学に聴講生として1年通いました。
   日本に来て感じたことは次の通りです。
(1)とても発展していて大変すばらしい国
(2)外国人に対して優しく接してくれるかと思っていたが、実際は自分の想像と違っていたのが悲しかったこと。
(3)国民全体の教育レベルの高さに驚いた。
 ネパールでは字の読み書きのできない人が約76%もいます。女性、子供は家庭の重要な働き手であり、学校へはほとんど行かせてもらえません。ですから、今後はネパールにおいて教育の必要性を説き、ひとりでも多くの子供が教育を受けられる環境作りに微力ながら努力していきたいと思っています。様々な経験を通して母国ネパールを客観的にみることができ、本当に日本に来て良かったと思っております。
                     〜サマル・マン・シュレスタ〜
「年増の新人」ですがよろしく
 まずは自己紹介から。名前は太田昌治(オオタマサハル)・歳は50歳・住まいは藤沢市片瀬・仕事は公務員(市役所)・家族は妻が1人と子供が3人・趣味色々(今はネパール?)です。  私が初めてヒマラヤを知ったのは、中学の時に日本のマナスル登山隊が登頂に成功したとの新聞記事だと思います。
 しかし、ネパールやエベレストへの憧れを抱きながらも、訪問を考えるようになったのは、つい最近のことです。4年ほど前に、サマルさんと知り合いになり、家が近いことから急速に親しくなりネパール語を教わったり、ネパールの国情を勉強したりとすっかりネパール漬けの私です。そして、昨年の暮れに初めてのネパール訪問をして、街の様子・人々の生活・学校や識字学級の状況を見ることができ、大変今後に参考となることばかりでした。やはり「百聞は一見にしかず」といいますが、一見は千聞に勝るといえそうです。たった10日ほどのネパール滞在で、こんなに勉強になった充実した日々であったことを考えると、ネパールのすべてを知りたいと・・・大変な日々が必要になりそう・・・? しかし、急がず慌てずされど油断なく準備してチャンスを待ちたいと思います。そのためにも色々な人々と知り合い、知識を増やし体力を維持しておく必要があります。その割には、毎日時間に追われ、せわしない生活をしている計画性のない自分の暮らしを反省することしきりです。  これから先の予定がどうなるかわかりませんが、時間と体力が許す限り皆さんとご一緒に「ネパールについて学び」ながら「ネパールを体験」し「ネパールの人々のためになることを実践」していきたいと考えています。
    どうぞよろしくお願いいたします。      〜太田昌治〜   
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◆ネパリ・バザーロからのお便り
             土屋春代
 皆様、お元気にお過ごしでしょうか。いつも暖かいご支援をありがとうございます。おかげさまでこの8月で活動も3年目を迎えました。ネパールの生産者の方達とのコミュニケーションも深まり、お互いによい仕事ができて、セーター・洋服・革製品など、品質が格段に良くなりました。この信頼関係を大切にしながら、皆様に喜んでいただける製品作りを目指してこれからも努力を続けて参りますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
 さて、今回は世界に先駆けて記念すべき第1号となりましたネパールのコーヒー輸入のお話をさせていただきたいと思います。洋服、セーター類の輸入は、カトマンドゥ周辺の経済的効果を期待できるものの、ネパールの人口の90%以上を占める農山村にはあまり貢献できません。紙製品の輸入も試みましたが、現状では厳しい状況です。カトマンドゥ周辺にもストリートチルドレンと呼ばれる子どもたちが90人くらいいて、けっして生活は豊かとはいえない状況ですが、村の生活はさらに大変といわれています。先日のドイツによる不買運動の対象となったカーペット工場での児童労働の問題にしても、インドへの少女売春の問題にしても、村の生活水準と無関係ではありません。この状況にあって、自ら自立を考えて村おこしの活動を精力的にしている方もいらっしゃいます。最近は、政府も力を入れているのがコーヒーのプロジェクトです。幸い、紅茶で有名なここネパールは、コーヒーの生産にも適しているところがたくさんあります。この空気の澄んだヒマラヤの山地で、とてもおいしいコーヒーが栽培されているのです。このコーヒーは産業がなく現金収入のない村が自らの力で教育や医療の整った村になる手助けとなります。ネパリ・バザーロでは、その目的を持って輸入を開始しました。村人が懸命に育てたコーヒーを最良の状態で召し上がっていただけるよう包装にもこだわりました。どうぞ、皆様もこの機会にこのコーヒーをお味わいください。そして、ヒマラヤの山々の壮大な雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。
  あなたも、ヒマラヤンワールドの旅人に!   
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◆おめでとう、サマルさん!
 前頁でご紹介したメンバーのサマルさんが、10月10日藤沢で結婚式を挙げました。お相手の康子さんは、看護婦をされています。夕刻から行われた披露宴には、たくさんのお友達や活動仲間が集まり、サリーなどのネパールの衣装で着飾った人も多く華やかな雰囲気でした。ネパール人のお友達の踊りも披露され楽しい会でしたが、何よりすばらしかったのはお色直しで真っ赤なサリーとたくさんのアクセサリーで着飾った花嫁の康子さんでした。ネパール式にサマルさんが康子さんの髪の分け目に赤い染料を塗ってあげた後は、出席した全員が美しい康子さんと一緒に写真を撮ってもらおうとカメラを持って二人に殺到。賑やかにお開きとなりました。この原稿を書いている今頃、お二人はネパールに新婚旅行です。帰ってきてからの土産話とのろけ話(?)が楽しみです。  末永く、お幸せに!!   
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◆ご寄付ありがとうございました
前回以降、寄付をいただいた方をご紹介させていただきます。
 山口優美子様、神野恭子様、大槻様、海老澤健様、中村裕子様、土屋かね子様、広田様&ご友人一同様、ローラン・マッソン、久田智子、土屋春代、完二、魚谷早苗   
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◆編集後記
 会の活動内容や今後の支援の仕方などを毎回打ち合わせています。活動もまもなく4年目を迎え、その活動の方向が少しずつ明確に見えてきました。(完二)
 通信編集第1回目ということで、我が家の未熟者のワープロと仲良しになるところから一苦労でした。早くも原稿の取り立ての厳しさが評判になっているとか、いないとか・・・。(早苗)  
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