第7号

もくじ

◆7号発行に向けてフェアフルーラ!
◆会の活動のご紹介
◆ネパール旅行記1
◆ネパールからのお便り
◆新メンバーの紹介
◆ネパリ・バザーロからのお便り
◆トロパシェル村こぼれ話
◆訃報
◆ご寄付ありがとうございました
◆編集後記


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◆7号発行に向けてフェアフルーラ!
 梅の花が咲き、次第に春めいてきました。夜の寒さが厳しいカトマンズもだいぶ過ごしやすくなってきたことでしょう。
 この正月休みを利用して、会のメンバーのうち3人がネパールへ行って来ました。今回は初めてカトマンズを離れ、4日間かけて村を訪ねることができました。カトマンズから東に50kmほどのトロパシェル村を訪れ、村の暮らしやコーヒー栽培の様子を垣間見てきました。冒頭の「フェアフルーラ」は訪ねた地域のラマ語での「こんにちは」です。今号では、村での様子を中心にご紹介していきます。  
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◆会の活動のご紹介
 ネパールの子どもたちに教育の機会を、と発足した私達の会は、支援や交流を通してネパールの人々と協力しあい学びあい共に成長していける活動をめざしています。 @ 27人のストリートチルドレンを引き取って家族同様に育てているビシュヌさんのホーム(モーニング・スター・チルドレンズ・ホーム)に生活費や教育費の資金援助をすると共に、手紙の交換や訪問により交流を深めています。
A 2人の小学生に学費と寄宿舎での生活費を援助すると共に、2人の通うモデルスクールとも連絡を取り合い情報交換をしています。
   会の資金はバザー活動を基本とし、暖かいご寄付も受けながら運営しています。バザー活動で多大な協力を得ているネパリ・バザーロはメンバーの一部が設立したネパールの物品の輸入会社です。経済活動の厳しいネパールが発展していくためには多額の寄付金に頼るだけではなくネパール自身が自立できる力をつけていかないといけません。親に収入源があることが子どもが学校へ行けるかどうかを左右します。ネパリ・バザーロは、女性の自立をめざすグループ等から商品を仕入れて仕事の場を提供し、さらに市場を拡大していけるだけの技術の向上ができるよう品質アップのための話し合いを重ねています。   
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◆ネパール旅行記1
           久田智子
 「赤茶色の街・・・」7年前、私が初めてネパールを訪れたときの印象です。そして今回も、上空から見下ろすネパールは、やはり「赤茶色」でした。もともとの土地が赤茶色である上、建物もレンガや土で作られており、全体的にこんな色合いになっているのです。しかし、空港は見違えるほどきれいになり、街には建物が増えて車があふれ、時の流れを感じずにはいられませんでした。  カトマンズ入りした翌日より、今回の最大イベントである村訪問の旅が始まりました。出発前に日本で得た情報では、カトマンズから車で3時間、歩いて10時間。今にも崩れそうな急斜面を、村人はサンダルで歩くんだから平気!平気!という、何とも不安になるような話。多少の登山経験のある私でも「覚悟」を決めての旅立ちでした。  実際は、ハイウェイとは名ばかりのガタゴト道を車で移動すること2時間。お尻は痛く、天井に頭をぶつけて目の前に星が飛び散り、もう限界という寸前に、ポーターさんたちとの合流地点に到着。同行したのは料理人・キッチンボーイ・ポーターとガイドのP.K.LAMAさん、総勢10名という、まるで大名行列のように出発。
 ネパールは、さすが山岳地帯というだけに、ひと山越えるとすぐ目の前には次の山がそびえ、振り返るといつもヒマラヤが頭を突き出していて、その偉大さに度々感動。すれ違う人に「ナマステ」と手を合わせて挨拶すると、はにかみながら「ナマステ」と答えてくれる。そんな一瞬にとても暖かいものを感じました。途中、山ザルの集団に出会ったりしながら、2日目に目的の村トロパシェルに到着しました。途中の村々と同様、山の斜面に畑や家が作られており、村の中を移動するだけで急斜面を上り下りして、標高差100から200メートルをクリアーしなければならないという状況。今回の旅で、これが一番きつかったという話もなきにしもあらずです。
 そんな中、驚いたのはあちこちの村に学校があることです。政府の援助で建てられたものもあり、この村も例外ではありませんでした。小・中・高校合わせて、500名(小学生300名、中・高校200名、女生徒は150名)が在籍しており、校長を含めて教師は14名います。小学校は公立で入学進級時に10ルピー(1ルピー=約2円)、中・高校は村立で月50ルピーかかります。現金収入の少ない村では、費用の面や家事手伝いなどが勉強を妨げてしまい、特に女子の教育がその犠牲になるようです。また、今のレベルでは村を改善していける人材を養成するには不十分であり、質の良い教育をめざすことと、教育に対する親の意識改革が今後の課題であると、P.K.さんのお話でした。  道すがら、籠をかついだりカマを片手に牛を追う女の子や、幼子をおぶって子守をする少女の姿を多く見かけました。将来のために今のうちから訓練をしているというのです。男は街へ出稼ぎに行き、女は家事と畑仕事を任されているのが村の現状です。私には、一見穏やかで平和そうに見える村の生活でしたが、その裏にある厳しさや多くの問題を理解するには、短すぎる滞在でした。  私がもうひとつ関心を持ったのは医療面です。時折ヘルスポストが建てられており、その必要性を痛感するとともに、村の中にそのような場所があることはとても頼もしいと思いました。しかし、たまたま通りかかった村でのことです。P.K.さんに呼ばれて行くと、小さな女の子が泣いているのです。ドアに手を挟んでしまったとのことで、まだ怪我をして間もないのか、泥だらけの手からは血が流れているのですが、傍らにいる母親も、周りの大人もただ見つめているだけ。手を洗うわけでもなく、血を止めるわけでもなく・・・。流水でとまではいわないまでもさっそくお湯で傷口を洗おうとするP.K.さんがなにやら家の人に指示。するとおじいさんらしき人が、家の中からなんと綿を持ってきたのでビックリ。そういえば、途中の畑で綿花がなっていたからあって当然なんだと思いながらも、あるなら有効に利用すればいいのに・・・と複雑な思い。とりあえず消毒と簡単な処置を行い、さほど大事には至らない様子にホッと一安心。さて、と立ち上がって再びビックリ。私達の周りには、どこから来たのかと思うくらい幾重にも人々が取り巻き、静かに覗き込んでいたのです。見慣れぬ人がいったい何をしているのかと、好奇心で集まったのでしょうね。
 このほかにも衛生状態の悪い中、目に余る光景を多く目にとめ、正しい知識の必要性を実感し、医療と教育の質の向上を心から願わずにはいられませんでした。 この村訪問の4日間は、本当に貴重な体験でした。大自然に囲まれた静寂の中、ゆっくりゆっくりと流れていく時間。日が昇って一日が始まり、陽が沈んで一日が終わる・・・。全てがそんな自然体の中で、流れ星を数えながら、忘れかけていた大切なものを少し取り戻せたような気がしました。電気もガスもトイレもない村に、テントを張っての生活でしたが、私達のために小さなトイレ用テントも持参し、食事はすべて手作りという贅沢。目覚めのTeaに始まり、日の出を拝みながらの朝食、川のほとりやヒマラヤを拝みながらの昼食、そして満天の星空の下でケーキまで焼いてくれたフルコースの夕食。そして夕食後に飲むムスタンコーヒー(コーヒーと地酒で作ったもの)の何とも言えないおいしさ・・・。
 最後の晩は、いうまでもなく大盛況でした。ポーターさんたちがラマ族の伝統的踊りや歌を披露してくれ、鍋や皿までが楽器に大変身。「アケ、アケ」(ラマ語でおじいさん)と慕われた完二さんも日本を代表して(?)踊り回り、時間の経つのも忘れてしまうほどでした。
 雄大な自然と、心暖かく笑顔のすてきな人々の住むネパールが、よりいっそう身近に感じられ、すっかり魅せられてしまいました。        ナマステ    
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◆ネパールからのお便り
  皆様、ネパールからナマステ。
 こちらは暦の上では春になりましたが、まだまだ寒い日が続いています。
 昨年11月ネパール総選挙が行われ共産党政権となりました。日常生活をしているものにとってはさほど大きな変化はなく以前から続く物価上昇、さらに選挙の翌日から頻繁になった停電に悩まされています。噂では新政権に対する嫌がらせといわれています。また、新政権を支持する人は排インドを主張し、情勢はやや混沌としています。いずれにせよ未だ子供レベルの国(自立できていない)では大なり小なり先進国はもちろん隣国のインド中国を無視しては成り立つはずはありません。(インドとの関係を重視しすぎたため今ではインドの属国化傾向が強くなり、住民の不満となっています)どうなりますやら・・・。
 さて、ビシュヌホームの出来事です。おかげさまで子どもたちは順調に成長しています。年長組の女の子などはすでに私の背を追い抜かし、ビックリしています。体だけではなく心の方も優しく成長していますのでご安心してください。
 大きな事件といえば、1年前に家族の一員となったスニタちゃん(8歳)が、昨年12月夜中に激しい頭痛とともに嘔吐し意識不明の重傷になり、カンティ小児病院のICUに入院したことです。早朝3時、症状の悪化するスニタちゃんを抱きかかえ、ビシュヌさんはまだ暗い道のりを病院に向かいました。途中で車を拾いやっとのことで病院にたどり着き集中治療が開始されたのでした。意識不明が続くこと14時間。ビシュヌさんの夜も寝ずの看病で奇跡的に一命をとりとめました。クリスマスにはホームの子どもたち全員そろって祝うことができました。 びっくりしたのは医療費の高いこと。一般の人にとって医療を受けることは高嶺の花です。日本では簡単な治療で元気になる病気でもこちらではただ貧しいということで今もなお簡単に尊い命が失われているのです。このスニタちゃんもビシュヌさんにもらわれていなかったら助かったかどうか分かりません。何しろ彼女の治療費は全部で17,000ルピーもかかったのですから。ICUの1日のベッド料は500ルピーです。1ヶ月の平均給料が3000ルピーのネパールでいかに高いかが分かります。ましてや保険制度などもありませんし・・・。自分を投げ捨ててもどうしてもスニ^ちゃんを助けたい!その叫びと愛のあるビシュヌさんでこそのこと。一般の人であれば17,000ルピーと子供の命、天秤にかけてしまうということも大いにありえます。厳しい現状があるのです。(スニタちゃんの治療費は後日会から特別援助することになりました)
 私と娘の愛ちゃんも今年に入ってから怪我をしっぱなしです。まず私が道ばたの穴にはまり右足を捻挫、次に愛ちゃんが台所で遊んでいるうち一人で椅子に登りそこから転倒し頭を3針縫合する事故にあいました。ないないづくしのネパールの診療所。適当な糸で縫合、また運悪くその日は大雨が降りとても寒く、また停電のためローソクの光の中での処置でとても大変でした。泣き叫ぶ愛ちゃんを無理矢理押さえつけての処置、どんなにか痛く、心も傷ついたかと思うと母親として心が深く痛みました。日本だともっと楽に治療できたのに・・・とこれからの子育てのことなども想像すると少々落ち込んでしまいました。でも今は二人とも元気になりましたので安心してください。  私たちの生活、ビシュヌさんホームまた、多くのストリートチルドレン、ネパールの人々のこと、心からお祈りください。
 ではまた、フェリベトーラ(また会いましょう)  
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◆新メンバーの紹介
 前号に引き続き、新メンバーをご紹介します。昨年春から一緒に活動をしているローラン・マッソンさんと安部慶子さんの二人です。
      My name is Laurent Masson. I am 26 years and I studied law and economics at the University of Paris. I came to Japan 18months ago to work for the French Embassy in the field of intellectual property. At the present time I am working for a law firm in Tokyo.
During my studies I traveled many times around Asia from Pakistan to the Philippines and had few experiences in the field of humanitarian works connected to education problems in Pakistan,India and in the Philippines. Keiko and I contacted Mr. and Ms.Tsuchiya in May last year. We strongly believe that one of the main key for development in the poor countries is education. We decided to join their association because the way they think education is really interesting and the work they carry out so efficient that we learn a lot.
〜 Laurent Masson〜
 1年半前にフランスから来日し、フランス大使館に勤務していたローランさんは、今年から東京の法律事務所で働いています。大学では法律と経済を専攻していましたが、在学中アジア各国を旅行して、パキスタン・インド・フィリピンで教育に関わる人道的活動を経験したそうです。貧しい国々の発展の鍵となるのは教育であると強く感じ、私達の会の活動に賛同して参加してくれました。
こんにちは
 去年の5月に土屋さんにお会いして以来ネパールの生活から援助の在り方、現存する問題解決の上での教育というものの持つ意義などについて私なりに考えるようになりました。ネパールを実際に訪れる機会は今回残念ながら逃してしまいましたが、みなさんのお話を聞き、写真などを見る度にそこに住むビシュヌさんや子どもたちに会ってみたい気持ちがつのります。決して日和見ではなく自分の目で足で、いろいろな発見をしてみたいと思います。現在勤務のフランス大使館ではフランスのボランティア活動の様子が少しうかがえますが、やはり基本は同じで、先々のニーズを熟知した上での政府の手の届かないところできめ細かい支援活動がいかに大事かということを感じます。ただ、ボランティアのせっかくの努力も受け入れ態勢の不備によって徒労に終わってしまうことも残念ながらあることは事実です。ルワンダの内戦では人道援助団体に犠牲者が出たり、今回の阪神大震災でも海外からの援助が現地の連絡網の寸断によって十分に生かされませんでした。しかし、やはり被災者の声をじかに聞くのは一般のボランティアです。阪神大震災では日本のボランティア元年ということも言われましたが、この場合、言葉や習慣の違いがないため、ボランティアにとってはかえって余りにも生々しい悲惨さがそのまま伝わり、肉体的にはもちろん、精神的にも決して楽なものではなかったと思います。それでもコミュニケーションは何においてもやはり最優先されるべきものです。人間は一人で生きていくことはできないし、生活自体が他との共存によって成り立つようにできているのですからこれは当然のこととはいえ、難しい面はやはりあるかと思います。こうした活動の落とし穴はそのコミュニケーションを軽視したり一方的な焦りからつい押しつけになってしまうことだと思います。また、ボランティアと聞くだけでこのような批判をされることもあります。でもここではみなさんが現地のイニシアティヴを大変尊重していらっしゃるところに私は大きな共感を覚えてます。そして自分にとっても得るところの多いみなさんの活動に加えていただけて感謝しています。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。
                             〜 安部慶子 〜    
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◆ネパリ・バザーロからのお便り
                   土屋完二
 今回は、コーヒーを生産している村をメンバーと訪ねて、挨拶を兼ねた現地の状況視察をしてきました。楽しくもハードな旅でしたが、しかしすてきな出会いのある旅であったこと嬉しく思います。  このコーヒー支援のきっかけは、アルボット村出身の方との出会いからでした。コーヒーを生産しても、販売市場がなく、年々縮小の方向であるとの情報に、協力できるかの検討が始まったのがつい先日のように思い出されます。村への自立支援には、局所的でなく、継続していけて広がりのあるものが期待されます。その有力な候補の一つが、すでに世界的に有名な紅茶に次いでこのコーヒーというわけです。
 今回は、残念ながらアルボット村には行けず、その川を挟んで反対斜面に位置するトロパシェル村へ行くことにしました。この村のコーヒーは、まだこれからの段階ですが、その村人の関心度は高いようです。その証拠に、各家庭に必ずと言っていいくらいコーヒーの木が植えてあります。数はまだ少ないのですが。
 農業というものは、まず投資が必要です。何かを植えなければ収穫もありません。そこで、現金が必要になります。そのためには、若い夫は都市部へ働きに行き、妻は家族を守りつつ畑のケアをしていく必要があります。土地が狭いので、一家を充分に養えないという事情もあるそうです。その女性が中心の村で、環境を整備していくためには、教育が重要な働きをします。もちろん、これ以上人口が増大することも土地の有限さから問題です。そこで、今、女性に対する開発プログラムをよく耳にします。女性自身の自立が、将来の国の自立のキーポイントにもなっています。
 夫の出稼ぎも、このコーヒープログラムが成功すれば、ずいぶんと楽になるであろうと期待されています。学校のトイレ設置にしても、能力のある先生に来てもらうにも、村のヘルスポストを維持するにも現金が必要になります。この面でも多いに役立つことでしょう。
 この村は、このコーヒーに関しては政府の援助を受けずに実施しています。苗から3年間のケアが大変で、この間に水が不足したり、多すぎたりすると、病気にかかったり、枯れたりしてしてしまいます。ここでは、水不足が心配され、バナナの木を植えて、太陽の強い日差しを遮断し、また同時に水を地下から吸い上げ、コーヒーの木に与える役割をさせています。収穫は、約13年間できるといわれています。
 ヒマラヤンワールドの赤くなったコーヒーの実を目の前にして、村のご家族、子どもたち、そして牛、ヤギの中で談笑した体験が発展し、このプログラムが課題をクリアして成功することを願っています。世界に通用する作物の生産が、その作る喜びと誇りを村人に与えていることを感じた訪問でもありました。   
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◆トロパシェル村こぼれ話
◎ 冬のネパール・トレッキングというと寒さの中をという印象を持たれるでしょうが、確かに夜は0度近くにまで気温が下がるものの日中は日射病になるかと思える暑さです。何しろネパールは沖縄と同じくらいの緯度にあるのですから。村の畑にもパイナップルやパパイヤ、マンゴーと熱帯の植物がみられます。私たちも、昼間は薄着でも汗だくなのに、陽が陰るとともにあれこれ着込んで宇宙人のようになっていました。
◎ 村の家屋は、壁土を塗り混んだ2階建てが一般的です。お茶をご馳走になったお宅は、1階が9畳ほどの台所と居間、2階が寝室になっています。窓が一つしかないので中は薄暗く、目が慣れてようやく、棚の鍋や2階に続く木の階段が見えてきました。部屋の一番奥にあるかまどの横には一家の主婦が火を守るように座っていました。燃料は山から取ってきた小枝です。お湯を沸かすために火をくべだすと、煙突がない室内はみるみる煙ってきました。目がしみて涙が出てきます。「自分たちは慣れているから」とP.K.さんに笑われましたが、実は私たちの座った場所が唯一の窓の前だったので、煙突代わりになり煙が集中して突進してきていたのです。その証拠に翌日お邪魔したP.K.さんのお宅では窓が反対側にあったので大丈夫。窓側に座った家の人が涙目だったのを私たちは見逃しませんでした。
◎ 村の子どもたちは好奇心いっぱいで私たちを見物しています。日が暮れてくるのを心配する私たちをよそに完全な闇になる直前にようやく家路につきます。テントから出てきたら覗き込むたくさんの顔に驚くこともしばしばでした。トイレテントを使うときは、さすがに「来ないでぇぇぇ!」の私たちでした。   
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◆訃報
 1月16日に、ノンタンで子どもたちに夢を与え続けた絵本作家の大友康匠先生(本名:大友義康様)が亡くなられました。グループ発足当初より絶大なる応援をいただいてきました。心よりご冥福をお祈りいたします。   
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◆ご寄付ありがとうございました
 前回以降、寄付をいただいた方をご紹介させていただきます。
 大槻田鶴子様、深山こう二様、増田学園様、道脇金蔵様、藤沢ナザレン教会様、川田様、細谷苑子様、船崎喜美子様、土屋かね子様、廣田麻紀子、ローランマッソン、久田智子、魚谷早苗    
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◆編集後記
 大地震で被害にあった方には、お見舞い申し上げます。メンバーのご家族には影響ありませんでした。海外からもFAXやお手紙で心配している旨のメッセージをいただきました。(完二)
 集まった原稿を読んで、ネパールの村をまた思い出しています。訪ねるごとに、ネパールの魅力に気付くと共に、関わり始めた活動をどう継続していくか身が引き締まる思いがします。(早苗)  
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