第11号

もくじ

◆ナマステ!
◆活動のご紹介
◆モーニング・スター・チルドレンズ・ホーム訪問記(その2)
◆ビシュヌホームとブワン君・ミラちゃんのこのごろ
◆リタちゃんも元気です
◆ホームの子どもたちの生い立ち
◆ネパリ・バザーロからのお便り
◆ネパールからたくさんのお便りが・・・
◆ご寄付ありがとうございました
◆編集後記


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◆ナマステ!  
 いよいよ夏の到来ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。ご協力いただいている皆様に、ネパールの状況や活動の様子をお伝えするために発行してきた通信も、いよいよ第11号となりました。ホームの子どもたちが成長するにつれ、必要な支援も少しずつ変化してきました。今回はメンバーの訪問報告と、支援先からのお手紙を中心にご紹介します。  
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◆活動のご紹介
私達の会は教育上や経済面で不利な立場にある女性の自立と、すべての子ども達の健全な育成を願い、1991年より活動をしています。
現在の活動は、
@36人のストリートチルドレンを引き取って家族同様に育てているビシュヌさんのホーム(モーニングスター・チルドレンズ・ホーム)に生活費や教育費の資金援助をすると共に、手紙の交換や訪問により交流を深める。
A2人の小学生に学費と寄宿舎での生活費を援助すると共に、2人の通うモデルスクールとも連絡を取り合い情報交換をする。 B密接な活動関係にあるネパリ・バザーロを補完し、女性の社会問題や村の問題に取り組んでいく。
などが主なものです。
 ネパリ・バザーロは、貿易を通して自立を応援する活動です。ネパールの物品を輸入販売することにより、村の生活条件の向上、就職に不利な女性たちの仕事の場の提供と社会的地位の向上、児童労働の状況緩和、そして市場を広げていくための技術の向上などに寄与できるよう日々努力しています。様々な社会的問題は、経済的な問題と深く関わっていて、寄付金に頼るだけでは解決しない難問です。家庭に安定した収入のあることが、子どもの就学を後押しするのも事実です。会の支援や交流を通して、ネパールの人々と協力しあい、学びあい、ともに成長していけることを目指しています。  
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◆モーニング・スター・チルドレンズ・ホーム訪問記(その2)
             太田昌治

前回の通信(第10号)に続いてのホーム訪問記ですが簡単に経緯を記します。
この訪問は、1995年12月25日から26日ベルダのメンバー3人でホームに泊まり、
ビシュヌご夫妻や30人の子どもたちと交流を深めた時の私の感想を交えた記録です。


 夕食後、ホールで子どもたち30人の名前と生年月日を確認しながら写真を撮った後、私たちも一度部屋に戻り、荷物の整理をしたりして一段落すると9時30分過ぎになっていました。ホールを覗くとビシュヌさんとお手伝いのパルバティさん親子と女の子2、3人がテレビを見ていました。白黒画面で、アンテナも半分壊れているものがテレビの上にちょこんと乗っています。
 しばらく、私たちも一緒にネパール語のテレビを見ていると、ビシュヌさんが英語で説明してくれて大分助かりました。
 傍らで4歳のアルジュン君(お手伝いのパルバティさんの子)がイタズラしたり、女の子が出たり入ったり(本当は自分たちのお気に入りの番組を見たかったのかも)しているうちに、少し寒くなってきたので、我々も寝ることにして失礼しました。私は、このホールの片隅に運び込まれたベッドに眠ることになり、10時30分過ぎ就床しました。
 家の中も外もすごく静かなのと疲れていたのかすぐに寝たようでしたが、後で思うと大きい男の子たちがTVを見に来たらしく耳元でザワザワ、パタパタ(足音)と聞こえていたような気がしました。 明け方(4時頃?)少々寒いのとお茶を飲んだせいか私としては珍しくトイレに起きましたが、まだ真っ暗なのでまた寝てしまいました。
 次に目が覚めたら6時頃で、少し様子を見ていましたが30分過ぎに起き出して、まだ暗かったのですが、いつもの癖で知らないところを探検したくて外を歩いてみることにしました。
ホームの周りを探検
 外はものすごい霧で、20メートルくらいしか見えません。門がしっかり閉まっているので隣の家(現在建築中で土台と柱だけ)との低い塀を乗り越えて外の道に出ました。昨日来た道の方に歩いていくと、50メートル位のところに小学校があり、その先で広い道に出ました。広いといっても幅6メートルくらいでもちろん凸凹・パサパサは変わりません。  その道端で、朝早くから堀立小屋のような店で野菜や雑貨を売る女性や子ども(ほとんど女の子)を多く見かけました。そして、店の前や道端の焚き火の周りに数人の男たちがタバコをくゆらしながらたむろしている光景はネパールでよく見るものです。
 途中の小綺麗な八百屋(みたい?)の前で新しい自転車(私の子供時代に父が買ったものに似ています)があったので、傍らにいた男にちょっとのネパール語と英語で聞いたらインド製で4,000ルピー(約8,000円)したとのこと(平均的ネパール人の2ヶ月分の給料に近い額だ、ウヘェー)。道理で「どうだ俺の自転車を見てくれ、いいだろう」と言わんばかりに胸を張っていたわけです。
 さらに、近くの小高い丘の上の社でお祈りをしている(イスラムのようです)子ども連れの小父さんや小学校の水場に来て顔を洗い水を汲んでいる女の子を写真に撮りながらホームに戻ってくると、子どもたちは皆顔を洗ったり部屋や玄関の掃除をしていました。たぶん、皆それぞれ分担(当番)を決めているようで、部屋を拭く子、玄関を掃く子など皆一所懸命に手伝いをしていました。朝のお茶を皆で頂いて、私たちはその後朝食にインスタントラーメンをご馳走になりました。これは、昨日ビシュヌさんが男の子に近くの店に買いに行かせたものです。
 その後、ビシュヌ夫妻に別室でベルダからの支援金を、特に最近のホームの実状から恒常的に不足している生活費や家庭教師費用の増額などをする旨を伝えながら、手渡しました。ちょうどその時、出かけていたビシュヌ夫妻の娘さんのジョティちゃん(6歳)が帰ってきて私たちに挨拶してくれました。
忙しい日本人、次はゆっくりと
 昨日の夕方やってきて、今朝9時過ぎに出ていくという慌ただしい滞在(たった15時間、そのうち7時間は寝ていたのです)ではありましたが、お別れには全員で玄関にて見送りしてくれました。全員で写真を撮り、何人かが荷物を車まで運んでくれ、みんな手がちぎれるように振っていたのが今も目に焼き付いています。
 ホームの子らに、ビシュヌ夫妻にまたいつ会えるかわかりませんが、なるべく早い時期に会いたいものです。
 この次には、2、3泊させていただければ、話を聞き、私たちの気持ちを伝えることにより、お互いの理解(気持ちの通じ合い)が深まるものと思われます。やはり、じかに見たり聞いたり感じたりすることが、次の活動や情熱の源になると思います。そして一度に沢山でなく、少しずつでも長く続けるお付き合いをしていく中で、お互いに学び合っていきたいと切実に思いました。
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◆ビシュヌホームとブワン君・ミラちゃんのこのごろ
                    土屋春代
 4月下旬から3週間、カトマンズに滞在していました。雨期に入る前の一番暑い時期で、日中は30度を超す日が続き、ビシュヌさんや友人たちに「食事に気をつけてください」とまず注意を受けました。
 冷蔵庫のある暮らしをしているのはごくわずかの裕福な家庭のみでもちろんビシュヌホームにも冷蔵庫はありません。これから雨季の終わる9月まで衛生面には冬場以上に気を使わねばなりません。ホームの医療費もぐんと増える季節です。36人の子どもたちの健康管理は本当に大変です。
 そうそう、ホームの子どもの数は今や36人になりました。一番新しいメンバーは生後3ヶ月(4月下旬現在)のウジャール君です。「2月にあなたがカトマンズを去った翌日に道で拾いました」と、まるで何か関係があるかのように、にこにこと嬉しそうにビシュヌさんは話すのです。そのウジャール君は、昼間はスヤスヤと寝て、夜は1時間おきに泣きくたくたに疲れて寝ているビシュヌ夫妻を起こします。拾ったときはやせてとっても小さく、近所の人が皆、これでは育たないと言った子が今は丸々と太ってよく笑うので同じ子だと言っても信じてもらえないそうです。ムナさんと代わる代わる抱いてあやしている二人はとても幸せに見えました。でも、その二人がもっとも悩み、時には不安で泣く日もあるとさえ打ち明けるのが、子どもたちの将来を考えるときです。ベルダ・レルネーヨでも年長の子たちの具体的な進路を相談し、応援する時期が来たと思っていたので、まず10年生で来年SLC*を受験するアルジュン君(18歳)の希望を聞きました。医者になって貧しい人の役に立ちたいという彼の望みは残念ながら点数が足りず無理なのだそうです。努力家でよく勉強をしているのですが何とか彼の希望を叶えられないのか、貧しい人の力になりたいという志を活かすことができないものか・・・と考えていたときにカトマンズで鍼灸学校を運営している畑美奈栄さんと出会いました。彼女もネパールの人々の自立のためには職業訓練を・・と勤めていた仕事をやめ鍼灸学校で学び直してネパールへ来た人です。「SLC合格後入試を受ける学力はもちろんだが一番大切なのは本人のやる気」との説明にビシュヌ夫妻もアルジュン君も“ゴールデンチャンス”と大喜びでした。ただ、SLCは難関と言われ、特に英語が重要なので現在依頼している家庭教師の他にもう一人アルジュン君のための受験指導の先生をお願いしました。今、彼は懸命に勉強しています。将来、困っている人たちの治療をする彼の姿が見られることを願わずにいられません。
 その後に続くのが8年生のプレム君(18歳)ジーバン君(15歳)です。本人の希望を何より大切にするビシュヌさんと今後相談して、子どもたちの自立への道を応援して行きたいと思っています。
 バルナムーナスクールに通うミラちゃんとブワン君も訪ねました。放課後に着る私服がないと言うブワン君たちにお店で服を買い、久しぶりに会える喜びで仕事を急ぎ終わらせ出かけました。ちょうど授業が終了し残念ながら勉強しているところを見ることはできませんでしたが元気な二人に会えました。
 暑いのに長袖・長ズボンで着替えのなかったブワン君は早速おみやげの夏服に着替えました。今年は落第のところをぎりぎりで進級させてもらったブワン君でしたが、その後頑張って先日の試験では3科目でトップになったと先生が教えてくださいました。校庭に跳び出し友達と走り回って遊ぶ二人を先生たちも目を細め見守っていました。  元気でね、また来るからね。
(*注)SLC
    (School Leaving Certificate)
  全国一斉に行われる卒業検定試験で、10 年生で受けます。小学校の教員資格が得られたり、大学進学に影響したりと、進学・就職の第一関門です。
お願い:ビシュヌさんとムナさんが文通を希望しています。できれば福祉関係の仕事、ボランティアをしている方がよいそうですがベルダ事務局までご連絡ください。お待ちしています。   
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◆リタちゃんも元気です
ホームの女の子たちの中で一番年上だった18歳のリタちゃんが結婚したことを前号でご紹介しましたが、ビシュヌさんのもとに新居からお手紙が届いたそうです。これまでホームで30名以上の大家族の中にぎやかに暮らしていたので、突然の夫婦二人暮らしは、始めは寂しいものだったようです。それでもすぐに慣れて元気に暮らしているということで、私たちもホッとしました。5月にビシュヌさんにお会いした時伺った話では、ビシュヌさんはリタちゃんに会うために6月始め新居を訪問する予定だとのことでした。リタちゃんの新居はインドとネパールの国境近くにあり、カトマンズからは長時間かけてバスで行きます。ビシュヌさんにとっても不案内な場所なので友人と一緒に訪れるということでしたが、無事リタちゃんに会うことができたでしょうか・・・。ビシュヌさんのおみやげ話が楽しみです。   
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◆ホームの子どもたちの生い立ち
 ホームの子どもたちのうち最年長の二人の青年たちが、私たちの希望に応えて、自分の生い立ちを書いてくれました。ビシュヌさん夫妻の元で、平穏に暮らしている明るい表情の子どもたちからは想像できない、以前の厳しい暮らしを語ってくれました。概訳をご紹介したいと思います。
 「僕は、17年くらい前に東ネパールで生まれました。父親は農夫でしたが、ある日土地も財産もすべて売り払って他の土地へ移り住むことになりました。2年後また別の土地に移り、そこには学校があったので兄弟と共に通い始めましたが、学校へ行かなければいけない意味が分からず、3ヶ月後にはさぼって遊びに行くようになってしまいました。当然試験は落第で、それを機に学校へはまったく行かなくなりました。
 2年後、僕が10歳になると、家族で以前住んでいた土地に戻りましたが、父親はさらに西ネパールへ移ることを望みました。そこで2年間農業をして暮らしましたが、様々なトラブルに見舞われ、また東ネパールへ戻ることになり、僕は姉の家で暮らすことになりました。  1990年に、兄が僕をカトマンズのこのホームへ連れてきてくれました。平和で喜びに満ちたホームで僕は学校へ通い続けることができ、今年で8年生になりました。」
「僕はゴルカ地方(中央ネパール:訳者注)の小さな村に住んでいました。へんぴな村で学校へ行く機会もなく、毎日忙しく畑を耕し、食事を作り、金持ちの家へ行って雑用をして働いていました。僕の家族は貧しくて土地も財産もなく、そのため村人たち全員が僕たち家族を疎んじていました。母親が身ごもったとき、家族は畑での労働に忙しくていたわってあげることもできませんでした。貧しさで充分な栄養もとれないまま、母親は出産後6日で亡くなってしまいました。母親が死ぬと、父親はインドに失踪し、残された僕たち兄弟は食べる物もありませんでした。そんな時、僕はホームに来ることができました。今10年生で、卒業後は医者になりたいと思っています。医者になることができたら、僕は貧しい人たちのために働きたいと思っています。今は、お父さんお母さん(ビシュヌ夫妻:訳者注)と、可愛い弟や妹と暮らし、とても幸せですが、昔の話を書いていると涙があふれてこれ以上書き続けることができません」
 彼は、4年ほど前に私たちが出会った頃から、勉強への熱心さを感じさせる知的な少年でした。最年長の彼は、ビシュヌさんを手伝って買い出しに出かけたり、ストリートチルドレンのためのクリニックでビシュヌさんに代わって子どもたちをケアしたりと、ホームの運営にとっても頼もしい存在になっています。   
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