福祉プログラムレポート

サポート会員の方々の会費を中心に、応援してくださる方からの寄付などを加えて、ネパリ・バザーロは子どもたちの教育支援、女性たちの自立支援を行ってきました。ホームの子どもたちへの支援は20 年、セービングファンドも開始から4年が経ちました。継続的に行っている支援についてご紹介します。
文:土屋春代(ネパリ・バザーロ代表)

~ヘムさんが農園で働いています。

専門教育支援を開始した2年目の奨学生はヘム・プラサドさん(22歳)とシタ・バスコタさん(20歳)の2人でした。理系を専攻し、皆に追いつくために一日中勉強をしていた真面目なシタさんに比べると、ヘムさんは飄々として、勉強もどこま
で熱心なのか、つかみどころのない印象でした。将来何になりたいの? と聞くと「偉い人」と、ニヤッとして言い、上の資格を取るためにさらに学校に行きたい? と聞くと「早く月給とりになりたい」とブスッと答えると云う調子でした。
 2010年の6月頃、卒業試験合格が分かり、希望通りKTE(カンチャンジャンガ紅茶農園)で働き始めたと聞き、その様子を見たくてたまりませんでしたが、9月、11月と2回の訪問とも、都合が合わず、会うことができませんでした。
 2011年3月、やっとメインガーデンで働くヘムさんと会うことができました。KTE
はメインガーデンを5つの地域に分け、それぞれの地域に責任者をおいていますが、その第一地域の責任者がヘムさんです。卒業したばかりでまだ1年間の
研修中というのに、もう責任者として広い地域を任され、ワーカーの方たちに指示をしている彼の姿は、気のせいか以前よりはるかに大人びて貫禄さえ感じました。 「仕事楽しい?」と聞くと、ニヤッとして「うん、まあまあ」と答えるところはあまり変わっていないなと思いましたが、「毎朝6時からカレッジで教育学を学んでいます」と少しテレながら下を向いて言うのを聞いて(あれ~、勉強熱心なん
だ)と感心し、「上の資格を取るために2年くらい働いたらまた農業専門学校に行きます」と聞いて(なんという頑張り屋さん)と感動して、目に汗が出てきました。この時、待っていてくれて、一緒に農園を歩いたシタさん、ゴビンダさん(22歳)
たちも、次の目標に向かって真剣に取り組んでいました。成長している若者たちの様子に心和むひと時でした。

東日本大震災の支援

2011年3月11日14時46分頃発生した、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0
という大地震と、その後に襲来した千年に一度といわれる巨大津波は東日本の太平洋側、約500キロに及ぶ沿岸地域の多くの尊い命を奪い、家屋や工場、船などの財産を瓦礫に変え、未曾有の傷跡を残しました。被災地域が広域なので、家族、親戚、友人知人がその地に住むという方も多いと思います。私たちの食生活を支える農産物や海産物、企業の生産活動に必要な部品やプラスチック容器、紙製品などしばらく手に入りづらかったものもたくさんあり、東北の果たしてきた役割の大きさを思い知らされました。さらに起きた福島原発の大事故。収束の目途が立たない現実は、これまでの安全神話を崩し、謳歌していた便利で豊かな生活がどれほど危うい土台の上に築かれていたのかを教えてくれました。 日本に住む全ての人が何を心の拠りどころにしたらよいのか途方にくれているように感じます。
 “国民の生命と財産を守ってくれる国”、“迅速に対応できるシステムの整った国”だと少しは信じていたものが、政府は機能せず、集まった多額の義援金も遅々として届きません。そんな中、あまりに凄惨な現場、甚大な被害に時としてひるみながらも、震災直後から多くのボランティア組織や個人が危険も厭わず、身銭を切って精一杯活動を続けています。金銭の多寡ではなく、強い想いに駆られたそれらの活動に触れた被災地の人々は、立ち上がろう、前進しようと誓い、笑顔を向けてくれます。

ネパリ・バザーロの取り組み

■炊き出しと物資支援(3 月27日6ヶ所)
■プロジェクト支援 
  1)古民家再生プロジェクト  
  2)お花畑プロジェクト…仮設住宅に花を植えるためプランターセット200 セット支援。
 釜石支援
■生活基本セット支援…生活セット237 セット、組布団206 組、衛生セット120 セット
■日帰り温泉ご招待(5 月29 日、7月3日、8月21 日)
■学校支援…北上町の小学校に体操服上下&ジャージ上下20 人分、
 赤白帽180 個、普段着80 着支援
■文具支援…市役所に各種手続きや相談に来られる被災者の方たちへ文具提供
 石巻支援
 陸前高田支援
■在住外国人旅費支援…フィリピン女性2 人、子ども3 人、
 中国人女性1 人の一時帰国費用支援。
■プロジェクト支援…仮設住宅の野菜栽培支援。野菜用プランター78 個等支援。
■介護予防のための様々な体力測定器具支援 
■今後の支援予定…障がい者施設のデイサービス再開支援。
■老人介護NPO 法人再開支援…システムキッチン2 式、大型冷凍冷蔵庫3台、
 洗濯機2 台、電子レンジ3台等電気製品、ベッド7 台、組布団7 組支援。
 東松島支援
詳しくはホームページをご覧ください。

特集:地域開発「偏見と差別との戦い」

コーヒーなどの嗜好品や食品原材料は、値上がりが激しく、売値に転化できない洋菓子店、喫茶店など小さな店は閉店に追い込まれているところもあります。小売価格を据え置いたまま利益を出そうと、原材料の質を落としたり、原産地を偽ったりする企業もあります。日本の社会に多大な影響を与えているこれら一連の動きがある一方で、市場が不足している生産者が多くいるのも事実です。つまり、供給不足でもないのに高騰しているのです。これは、生産者にとっても、消費者にとっても喜ばしい状況ではありません。明らかに、投機の対象として高騰していると読むことができ、私たちの生活を脅かしています。
 お取引先から、「ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)も原料の高騰で大変でしょう?」と聞かれることがあります。こと、コーヒーに関しては全く動ぜず、生産者の方々とより良き道を求めて進んでいるといえます。フェアトレードの仕組みなくしてはできないことです。安心して暮らせる住みやすい社会を私たちの手で創る手段がここにあります。 
 2010年秋号では、コーヒー生産者、シリンゲの人々の置かれた状況、貧しいが故に、周囲から無視され、排除され続けた人々とともに偏見や差別と戦い、自立に向けて努力している過程をご紹介しました。今号では、その後の状況を、厳しい生活の実体も含めながらお伝えします。

・自然農法で育てたネパールコーヒー

 ネパールコーヒーは、浅煎りから深煎りまでのローストが可能な豆で、とりわけ深煎りは、甘みも出てとても美味しいコーヒーです。シリンゲはコーヒーの生産地域の一つ。ラリトプール郡の最南端に位置します。起伏が激しいカブレ、マクワンプルに接し、行き来の難しい所です。カトマンズからバスを乗り継いでほぼ1日掛かり、そこから徒歩で険しい山道を数時間歩くとシリンゲに辿り着きます。
 ネパリの「シリンゲ村物語」のコーヒーは大自然の中で、昔からの自然に沿った農法で大切に育まれています。そして、村での栽培、加工、選別から、カトマンズでの再選別や厳しい品質チェックまで、一貫した工程管理により、質が良く安全で、安心して飲んでいただけるコーヒーです。ここでは、村の様子をご紹介します。

・コーヒーの生産地シリンゲ村の動き

 2011年2月25日、昨年5月の訪問に続く5度目の訪問になりました。前回より道路が延び、ナムンダラから歩いていた頃に比べると4時間の短縮です。
 2010年12月末、念願の国際標準の有機証明を取得しました。今回はそれに伴う内部監査に立ち会い、問題がないかどうかをチェックし、もし問題があればその改善をすることが主な目的でした。又、協同組合の事務所設立のための用地探しと購入、緊急支援ファンドをスタートさせるためでもありました。私たちの訪問に合わせ、協同組合の年次総会も開かれました。ネパール国花ラリグラスが綺麗に咲き、周囲を華やかに彩っている季節でした。
 昨年までの度重なる妨害との必死の戦いがまるで嘘のように、協同組合代表のバドリさんは、〝コーヒー叔父さん〟として地域で一目おかれる存在になっていました。皮むき機も、ネパリが4台支援、協同組合も自力で1台調達し、木製の古い物から水力を利用する新しい物に一新、効率も一段と良くなりました。状況の改善を象徴するかのように、赤いラリグラスがそこここに咲き誇るシリンゲは
輝いて見えました。

・農民の生活と苦悩

 ネパールは農業国で、国民の約8割が農業に従事しています。農民の暮らしは、天候に大きく左右されるため収入が不安定です。そして、医療が発達した現在では、病人がでれば、高額な手術代、薬代など現金が必要となり、農民にとっては大変な困難を招くことになります。又、教育の必要性の認識も高まり、ここでも現金を必要とするようになりました。しかも、村には専門的な教育を受けられる学校がなく、高学年になれば都市部で下宿するなどして勉強せざるを得ないため多額の費用がかかります。ある程度の安定した現金収入がなければ高等教育は夢のまた夢となります。
 ネパールは1950年まで、約1世紀を支配したラナ政権(*)の愚民政策(国民を支配しやすくするため教育を受けさせなかった)の負の遺産で、識字率は今日に至っても低く、暗い影を落としています。シリンゲの人々は、その影響を色濃く受けた人々、ということができます。組合員のなかにも読み書きできない方が多くいます。そのことから、土地をだまし取られた話は沢山あり、組合理事の一人、インドラマニさんも、所有する土地26ロプニ(1ロプニは約160坪)の内、10ロプニを失っています。
 収入を得る手段の少ない厳しい状況から、大家族で生活する傾向にありますが、どこの家族にも病人が一人は居る、と言っても過言ではありません。慢性化した病であれば、薬代が家計に重くのしかかっています。
 有機証明の内部監査員でもあるユブラジさんは村で高校卒業資格をパスした若者世代の筆頭です。お姉さんたちはみな結婚し、両親との3人暮らしです。彼の家を訪問する度に気づいたことがありました。屋根の茅葺が傷む一方で手入れがされていないのです。どちらかと言えばおっとりとしている彼ですが、地図を器用に描いたり、色々と先のことを考えたり、仕事振りも真面目です。その彼が何故?答えは簡単でした。61歳のお母さんが心臓を患っていたのです。7年前に医者にみてもらった時、手術を薦められたそうですが、お金がなく断念。以来、薬をのみ続けています。それが、家計を圧迫していたのです。お父さんも、ネパール特有の座る姿勢から腸が下がり、普通に座ることができません。協同組合は新しくできたばかりで組合としての収入がほとんどないため、その仕事は、全てボランティアで引き受けなければなりません。このような話は、ユブラジさんのご家庭に限らず散見されることです。
 農産物故の厳しい状況もあります。昨年は、ホワイトボーダーという虫によりたくさんのコーヒーの木が被害を受けました。この病気にかかると、木を伐り燃やす以外に有効な方法はありません。遅れると被害は広がり、更にダメージが大きくなります。
 ケダールさん、イッチャさん(10項写真左)は、村でも上位のコーヒー生産量を誇っていましたが、今では、ほとんどの木を失いました。イッチャさんご夫婦は高齢で、頼りにしていたたった一人の娘さんは駆け落ちして突然出て行ってしまったそうです。これから、どうやって生きていこうかと途方にくれていました。

・組合との協働と挑戦

 昨年末の数年がかりだった有機証明の取得はとても嬉しいできごとでした。シ
リンゲの農民の方々の喜びは、それは、それは大きなものでした。協力してくれ
た輸出代行事務所の代表ディリーさんやラクシミさんたちスタッフ全員も興奮し
喜び合いました。勿論、私たちも。
 コーヒー生産に関連する設備の増強も実施し、新しく作る事務所と倉庫の土地
も購入、登記も終わりました。昨年、豪雨で半壊した協同組合長、バドリさんの
家のようなケースを支援する仕組み、「緊急支援ファンド」も作り、運用していま
す。私たちとしては課題山積の中、全力を挙げてシリンゲの人々をバックアップ
し、福祉面の充実にも努めてきた結果がここに出ています。しかし、それはゴー
ルではなく、やっとスタートラインに着いたのだと分かりました。共に脅威にさらされながら偏見や差別と闘う中で、個々の家庭が抱える問題もよく見えてきて、その根深さ、大きさが分かってきたのです。
 これから目指すことは、先のユブラジさんのような人々に、協同組合のためにがんばった分、給与が出せるようにしていくこと(それにより薬代も賄える)、家庭の生活状況により、東ネパールで展開しているような高等教育への奨学金を出していくこと(現在は、ケサブさんを支援し、農業専門家になるべく勉強をしてもらっています)など、次世代を育てながら、収入向上を通じ様々な課題をシリンゲの人々自らが改善していけるような力をつけることです。そのために更なる収入向上の手段として、スパイスを栽培する計画もしています。
 世界的な投機に左右されず、安全で安心な食作りを通じ、「共に生きる」道を
模索し、シリンゲの人々とこれからも挑戦して参りたいと思います。

【コラム】ケサブさんの頑張り

シリンゲの期待の星、ケサブさん( 21歳)はすごく負けず嫌いの頑張り屋です。彼には農業の専門家になりたいという夢がありましたが、親に財産や安定した収入がなく、叶わぬ夢と諦めていたそうです。
 ネパリがバドリさんたちに協力してシリンゲ協同組合を設立し、有機証明取得
に向けて動き出した時、将来を考え誰かに専門知識を学んで欲しいと思い、中心
になって活躍していたケサブさんに打診しました。ケサブさんは夢が叶うかもし
れないと分かった時、天にも昇るほどうれしかったそうです。その時、きらきら
と強い光を放ち、輝いた彼の瞳が忘れられません。
 ところが、実際に学校に入ってみると、授業に追いつくのがものすごく大変だっ
たそうです。ケサブさんは、どこかの会社の経理に雇ってもらえるようにと、S
LC(*1)合格後、商業コースを選択したので、全国に3ヵ所しかない難関の
国立農業大学に合格しても、科学コースから進級した他の学生に比べて大きく遅れをとっていたのです。2年間の内容をわずか1年で学び、早く追いつこうと必
死で勉強しています。でも、子どもの時に心臓の大手術をし、それ以後も薬を飲
み続けている彼にとって、暑いチトワン(*2)での勉学は重く大きい負担です。倒れて病院に運ばれたこともあると聞いては心配で溜まりません。しかも、組合のことで、有能な彼がどうしても必要となり、長距離バスに乗って時々シリンゲに戻ってきています。
 「辛くない?続けるの、大変だよね」と心配すると、「ずっと夢見ていたことが実現したのだから、必ずやり遂げます。それに、組合も僕にとっては命と同じくらい大事だから、する仕事があれば、どんなに無理をしても戻ってきます。この出会いだって組合のおかげです。組合がなかったら僕の今はないのですから」と、言いました。その強い意思を包む身体がもっと丈夫だったら、この人はどれほどの仕事をやり遂げられるのだろうと思いました。しかし同時に、小さい頃から身体が弱く、両親の不仲など家庭環境も大変だったことが、今のケサブさんの優しさ、強さを養ったのだとも思います。
 ケサブさん、あなたの夢はあなただけの夢ではありません。身体に気をつけて、少しだけ、ビスターレ(ネパール語で“ゆっくり”の意)、ビスターレ。

*1…10
年間の基礎教育を修了したことを証明する国家試験。
*2:ネパール南部、インドとの国境に位置する亜熱帯のタライ平原にある町。1984年には世界遺産にも登録された、野性動物の宝庫として知られるチトワン国立公園がある。

ベルダショップ・レポート (vol.34)

Verdaの誌面がそのままお店になりました。


東京・尾山台の隠れ家で、2日間限定のベルダショップをオープンしました。

 2010年10月10日、11日の2日間、東京都世田谷区にある「アトリエS」に、たくさんのネパリ・バザーロの商品をご用意し、いつも応援してくださっているお客様をお招きしました。自由ヶ丘に近い住宅街にある「アトリエS」はLa MOMOの写真スタジオで、カタログVerdaの撮影に使われています。
 前日からの激しい雨は当日になっても降り続き心配しましたが、開店の頃には不思議と止んで、お客様をお迎えすることができました。緑の芝の庭には雑貨やニット小物、そして、天井の高い1階のホールには秋冬物を中心に布やニットの服を色系別にディスプレイしました。らせん階段を上った2階には紙布の部屋。ネパリのコーヒー、紅茶とお菓子で一休みできるカフェと、カタログの雰囲気そのままにプロのカメラマンが撮影をする企画も大好評でした。
 お友達やご家族と連れ立っておいで下さった方も多く、2日間で252名のご来場となりました。レジやカフェが混雑してご迷惑をおかけしてしまった時間帯もありましたが、たくさんの方に楽しんでいただき、これまでお手紙だけのやりとりだった通販のお客様とも初めてお会いでき、スタッフにとっても嬉しいひとときでした。

フェアトレードのお店紹介 (vol.34)

●埼玉県

草木からの無限の贈り物一枚の布を染め上げる
工房艸(そう)

古き良き大正時代を思わせる大正浪漫通りを歩いていると、風になびいている、自然のやさしい色合いのスカーフが目に入ります。「工房艸」の店主の原澤博子さんが自宅で育てた藍の生葉で染めた淡い水色に、さらに柿渋を何度も染め重ねた美しい色合いのスカーフが、お日様の光と共に少しずつ、少しずつ、色を深めています。
 店内は、心の琴線に触れる素晴らしい色の宝庫。惚れ込んだ作家の服や自身で染めたスカーフ、ネパリの衣類やアイピローが並んでいます。「これは5年もの。これは8年ものよ」と、原澤さんが、一つひとつ我が子のように手にとって教えてくれます。染めては寝かし、染めては寝かし、何年もかけて少しずつ色を重ねていくのだそうです。ネパリの服にも柿渋を染め重ねたり、挿し色のストールをセットにしたりして紹介しています。一枚の服を大切に、長く楽しんで着て頂きたいので、染め替えもしています。ネパリも染め替えやリメイクをしているので、その物作りの姿勢に共感しています。以前70代の方が、「レース織ハイウエストギャザーブラウス・青緑」を購入され、1年目はそのまま着て、2年目は茜と柿渋でまだらに染め重ね、3年目は無地にしてとリクエストをされたそうです。一枚の服が、「工房艸」を通して、お客様や原澤さんと共に生きています。「自然の力はすごいと気付かされます。手間はかかりますが、モノが使い手と共に変化し、素敵な物語を作っていきます。最近は安い商品が溢れていますが、モノの後ろにあるストーリー『タグエピソード』を大切にして、伝えていきたいです」と語る原澤さんは、毎朝5時から、冬でも7時から、自宅で染めの仕事をスタートします。その後、店に出て接客をしながら布を織っています。長年幼稚園の先生として働いていましたが、定年を目前に退職後、チャレンジドショップへの応募をきっかけに、お店を開くことになりました。フェアトレードのことは以前から知っていて、行商のように商品をバザーなどで販売していました。何か突き動かされる想いがあり、日本全国、海外からも旅行者が訪れる川越で、7年前に草木染めのお店を始めるときも、ぜひフェアトレードのことを多くの人に伝えたいという想いで商品を置くことにしました。
 「布を草木で染め、身につけること。そこには先人の知恵に依る深い意味がありました」と原澤さんは穏やかに語ります。店内は自然の美しい色に囲まれて、とても温かい空間です。
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店主:原澤博子
〒350-0006 埼玉県川越市連雀町16-8
Tel&Fax:049-225-5358
Open:11:00~18:00(定休日:月・金曜)
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●埼玉県
時おり不思議空間に変貌する喫茶店
ほっとスペース包(ぱお)

「ほっとスペース包」は、新座市の住宅街で運営しているコミュニティスペースです。取材に訪れた日、店内はネパリのコーヒーを淹れる柔らかな香りに満ち、たくさんの人で賑わっていました。
 代表の泉山由紀さんは以前、近くの堀ノ内病院で16年間に渡って、障がいのある人と健常者が一緒に働く売店を共同運営していました。病院の事情でその売店を閉めることになったとき、そうした障がいのある人と健常者が共に関わる場を地域に作ろうと、有志20名ほどで約一年半の準備期間を経てオープンさせました。泉山さんは新座を「自分と周囲のつながりが見えている地域」だと言います。それを活かして新座市に住む様々な人々が集い楽しい時間を共有することのできる場作りをしています。
 「名前は代表ですけど、みんなのお店ですし、みんなの場所なんです」オープンから約5年間、30人近い登録メンバーがボランティアで維持してきました。笑い声が溢れる店内に集う方々はほとんどが顔見知り。障がいの有無に関わらず、地域の人たちにも参加してもらおうとアイディアを出し合い企画しています。
 「フェアトレード製品を置くことで、地域に住む健常者と障がい者という枠を越えて、世界の誰かとつながれるように感じています」と話す泉山さん。「ネパリの商品は、フェアトレード製品を扱おうと考えたときに真っ先に思いつきました。自分がネパリの商品をプレゼントでもらったときの温もりがとても心に残っていたんです。リスのキャンドルと手編みのミトン。贈ってくれた友人の気持ちがそのまま形になっていたようでした」自由に活動できるように補助金や助成金には頼らず、ネパリを始めとしたフェアトレード商品や、地域の方々の手作り品を販売して得た収益がスペースの運営に充てられています。「ほっとスペース包」は、新座に住む人が繋がり、助け合う、自立したコミュニティ作りを目指しています。
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代表:泉山由紀
〒352-0033 埼玉県新座市石神2-4-8石神マーケット1F
Tel&Fax:048-483-2280
Open:10:30~17:00(定休日:日曜、祝日)
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●茨城県
人ともの、人と人とのつながりが楽しみ
フレンズ

東京・秋葉原から「つくばエクスプレス」でわずか45分。筑波大学キャンパスから約5分のところに「フレンズ」はあります。緑が多く、静かで気持ちのよい街並みです。
 「ゆっくり、ゆっくり」という気持ちを込めた、かたつむりの看板が入り口の目印。階段を上がると、衣類、雑貨、アクセサリー、食品、生活雑貨、ベビー用品などたくさんの商品が並ぶ店内が目に入り、心が躍ります。焦る気持ちを抑えつつ、靴を脱いで上がると、そこはまるで宝探しのような素敵な空間です。ショートヘアに大振りのアクセサリーとラップパンツがよくお似合いの店主、関口友美さんとお客様の楽しそうな会話にも耳を奪われます。商品を手にして、友美さんから溢れるように言葉が出てきます。使い方、着こなし方、作っている人のこと…聞いていると、モノがより一層キラキラと輝いて見えてきます。
 友美さんがお店を始められたのは5年前。それまで飲食店を営んでいたのですが、ある時ふと思い立ち、約2ヶ月で開店に至りました。「今が一番幸せ!ネパリの商品は、箱を開けるのが楽しくって!手書きのメッセージと共に届く商品たちは、一つひとつ大切に扱われていることが伝わってきます」と楽しそうに語ります。筑波大学の環境サークル「エコレンジャー」で活動し、卒業後もお店に来ている市橋あいさん、加倉井佑一さん、山浦愛さんをはじめ、想いある若者がお店に集います。「ここに来ると誰かに会えたり、話ができて楽しいです」と語るあいさん。買い物を楽しむだけでなく、お客様に商品の説明をしたり、友美さんとの会話に励まされたりと、生き方を模索する学生たちにとっても大切な場になっているようです。
 「これからの未来を担っていく学生たちに、フェアトレードを『広めること』が友美さんの使命」と、夫のひろしさん(紙布の服を愛用しています)はいつも応援してくれています。昨今の「フェアトレード」の広まり方に疑問を感じることもある中で、ネパリの「最後の一枚まで大切に売り切る」という姿勢は、友美さんの心の支えになっているそうです。
 商品を通して、私たち一人ひとりがつながること。そこから全てが始まると感じるお店です。
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店主:関口友美
〒305-0005 茨城県つくば市天久保1-6-1ヤマキビル2階(松見公園前)
Tel&Fax:029-852-1700
Open:12:00~17:00(定休日:日・月曜、祝日)
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●埼玉県
人の手が作りだすぬくもりを伝えるお店
おばあちゃんの店

東武東上線柳瀬川駅から徒歩10分。静かな住宅街に佇む「おばあちゃんの店」に足を踏み入れると、明るい笑顔が印象的な店主の田中香代子さんが出迎えてくれます。
 田中さんは20代の頃、青年海外協力隊員としてセネガルに二年ほど赴任。多額の予算が注ぎ込まれるプロジェクトは数多く立案されるものの、成果が見えない現地の状況に矛盾を感じ、もっと着実な方法で社会に貢献できないかと考えるようになりました。帰国後、西アフリカ諸国の貧困と家族の病気の経験から、「食べること」「自分たちで作ること」の大切さを実感し、身近な生活を少しずつ変えていくことから始めようと2003年「おばあちゃんの店」をオープン。ユニークな店名は祖母が以前営んでいた駄菓子屋のような、地域に密着した店にしたいと考えたからだそうです。店内には新鮮な有機野菜が並び、加工食品、発酵食品などの自然食品や、地球と人に優しい洗剤や天然原料の化粧品などの生活用品、天然素材のフェアトレード商品を多数取り扱っています。
 きちんとしたものを食べるということは、食べる人の身体だけでなく、心も育むとても大切なこと。様々な物が溢れる世の中で「せめてこのお店の物はお客様の心身の健康にとって自信をもって良いといえるものを置いておきたい」と考える田中さん。
 そんな思いのこもったこだわりの商品の中にネパリ・バザーロの食品や衣類も置かれています。「ネパリの商品には手仕事の良さを感じて仕入れています。手仕事が社会や生活から失われている今、多くの人の手を経て作られた洋服の着心地の良さをとおしてその大切さを知って欲しい」ネパリの柿渋の洋服を何度も染めて着てもらおうと柿渋の染料も揃えています。
 住宅街を歩いているとふらりと立ち寄りたくなるような明るい佇まいの「おばあちゃんの店」そこに置いてある商品の良さを通して、心と身体に何が大切かを体感できるはずです。
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店主:田中香代子 〒353-0005 埼玉県志木市幸町3-23-10
Tel&Fax:048-476-4855
Open:10:00〜18:00(定休日:土曜)
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●埼玉県
天然素材&フェアトレードの雑貨・衣料
to-9(トーク)

 JR武蔵野線南越谷駅または東武伊勢崎線新越谷駅から徒歩3分。大型スーパーに近い商店街に「to-9」があります。通りの可愛い看板にひかれて階段を上ると、佐藤奈穂子さん手作りのアクセサリーやフェルト小物がお出迎え。大きな窓から柔らかな日が差し込む一角には、佐藤耕輔さんお気に入りの多肉植物の可愛い鉢植えが並びます。ゆったりとしたスペースの真ん中に置かれた水槽では、大きな金魚がゆらゆらと泳ぎ、取り囲むように衣類、雑貨、食品が並んでいます。
 奈穂子さん、耕輔さんご夫妻は、2005年にそれぞれ仕事を退職して1年間のアジアの旅に出ました。出会った人たちから「日本人でラッキーだ。自分たちには外国の旅なんてできない」と屈託のない笑顔で言われ、「日本人であること」を意識させられました。旅が終わりに近づき、これからもアジアとつながり、少しでも役に立ちたいと考えた末、アジアの雑貨を販売しようと、帰国後準備を重ね、2008年5月に店をオープンしました。
 フェアトレード商品との出会いは、ネパリが最初でした。ネパールを旅した時に土産物屋で見た雑貨をそのままで日本で販売することは難しいと感じましたが、ネパリは、ネパールと日本それぞれの良さを引き出していると感じています。ずっとネパリの紅茶を愛飲していますが、時々他の紅茶を飲むと「やっぱりネパリの紅茶がおいしい」と再認識するそうです。お店では、クッキーやサヌ・バイさんのスプーンも人気です。
 仕入れる商品は、できるだけフェアトレードのものをと心がけています。「この店がなくなったら生産者の仕事が減ってしまう。自分たちの店がネパリや生産者と直接つながっているのだと思うと、やる気が湧いてきます(奈穂子さん)」「より安いものを選ぶ時代ですが、想いを共感できる人はまだまだ増えていくと思います(耕輔さん)」フェアトレード商品を置くようになって、お客様との輪が広がりリピーターも増え、お二人の想いはさらに強くなりました。
 お友達へのプレゼント、自分へのご褒美を探しに、ぜひお店を訪ねてみてください。
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店主:佐藤耕輔、佐藤奈穂子
埼玉県越谷市南越谷1-13-8 大菊ビル2階
Tel&Fax:048-986-7990 Open:11:00~19:30(定休:水曜)
http://to-9.ocnk.net
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●埼玉県
昔ながらの食材とフェアトレードのお店
かぎろひ

JR宇都宮線東大宮駅近くにある「かぎろひ」はこだわりの食材を中心に、フェアトレードの雑貨などが並ぶぬくもりのあるお店です。店主の萩原和人さんは、もともとはコックをしていました。自然食品店で働く妻のやす子さんから話を聞き、自分たちの食卓に並ぶようになると、自分が仕事で使っている化学調味料や着色料の入った食材が気になり始めました。知ってしまったからには、自分にも、周りの人にも嘘をつきたくない、と思っていた矢先、その自然食品店からお声がかかり、妻にも勧められて転職しました。
その店で、一緒に働くスタッフからフェアトレードの話を聞きました。当たり前のことなのに、世の中では違う考え方の方が主流であることに気づき、もっと広めたいとフェアトレード商品を扱うことにしました。
ほどなくして働いていたお店が閉じられることになり、次の仕事をどうしようかと考えていたときに、お客様から「閉められては困る。あなたがやって」と請われ、すぐ近くの今の店舗で独立して「かぎろひ」を開店しました。
自分のお店になり、以前から気になっていたネパリの商品も置けるようになりました。ネパリは、ネパールに限定してこれだけ品質の良い商品をそろえ、素晴らしいカタログを出していて驚かされます。
国対国でなくても、国内にもアンフェアはあります。生鮮品や小物はできるだけ直接仕入れるように心がけています。農家さんから話を聞くと、大手企業との付き合いの大変さが伝わってきます。国外、国内に関係なく、当たり前のことが当たり前に通る世の中になって欲しいと願っています。
「フェアトレードや農業の実情を知ること、学ぶことも大切ですが、買うより前に、まず自分で作ってみることを勧めています。体験してみれば実感として理解ができます。自分で苦労して作ったものは納得のいく対価が欲しいし、どうして店でこんなに安く売っているのかと疑問に感じ、搾取する気にはなれないはずです」と語る萩原さんは、野菜の種を販売したり、空いている畑があると紹介もしているそうです。
毎年夏には、「ジリミリ」というイベントを開催しています。自分が知り合った同じ想いを共有するお店や農家さんが一つの輪になって地域を盛り上げています。
イベントの開催や近隣のすてきなお店の情報も満載で、地域のつながりを感じるすてきなお店です。
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店主:萩原和人
〒337-0051埼玉県さいたま市見沼区東大宮5-33-6
TEL/FAX:048-686-8838 Open:10:00〜19:00 
(定休:月曜 ※お盆・正月・GWにも定休日有り)
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商品開発物語:こぶたとねずみのリストピロー (vol.34)

キーボードを打つ時に手首を置くだけでなく、疲れた肩にのせたりも。中に入っている天然素材、亜麻の種のちょうどいい重みで、疲れがじわーっと和らぎ、癖になる気持ちよさ。表情も一つひとつ違います。

マハグティを訪れる各国のバイヤーから注目され、今やネパールから世界に羽ばたいている大人気のアイピロー、ポチとタマ(84頁)。ネパリ・バザーロが開発したデザインが気に入られ、欧米からは、ドアストッパーとして巨大サイズの発注も来ているほどです。抱き枕かと思うようなポチとタマを、数人がかりで作っています。昨今の経済不況の中でも、マハグティが何とか仕事を確保し、工房を続けられているのも、アイピローのおかげだそうです。
 マハグティのスタッフも頑張っています。「私たち自身で新商品を開発しましょう!」新しいことをしていれば、きっと結果はついてくるはず。取り組むスタッフも、モチベーションが高まります。
 それから、訪ねる度にポチとタマからヒントを得た新しい商品を見せてくれました。カエルやくまのアイピロー、うさぎやカバのマスコット…そんな中、パッと目に飛び込んできたのが、『こぶたとねずみのリストピロー』。愛嬌のある顔つき、手の平サイズの心地よい重み、保多織りのシャリシャリッとした肌触り。手の平の上で、今にもモソモソと動き出しそうです。
 「これはかわいい!これでいきましょう!」
商品化することを決めると、マハグティのスタッフも嬉しそう。サイズなど、仕様の微調整を伝えて、その都度サンプルを作ってもらいました。このようなやりとりを何回か経て、ようやく完成しました。
 カタログ掲載後、お客様からも、「こういう商品を待っていました」と嬉しいお声を頂きました。ネパリ・バザーロの事務所から、お客様の元へ次々と旅立っていきます。マハグティのスタッフと共に、これからも大事に商品を育てていきたいと思います。

1.「もったいない」から生まれた
服を作る過程で、どうしても出てしまう「はぎれ」。ネパールの方々が糸を紡ぎ、手織りし、手染めした布は、もったいなくて捨てられません。ネパリ・バザーロは、はぎれを活かした商品開発を大切にしています。このリストピローもはぎれを使っています。同じ布で服を作っているので、リストピローとお揃いになることも!そんな日は、デスクの上のリストピローと共に、一日嬉しい気持ちで過ごせます。

2.欧米にも人気の保多織り
リストピローに使っているのは「保多織り」という手織り綿です。2004年、2005年と日本の染織作家の方をネパールにお連れして、技術指導をして頂いた時に生まれた布です。「多年を保つ」ことに由来する名前の通り、いつまでも丈夫で長持ちすることが特長です。吸湿性と保温性に優れていて、凹凸のあるシャリ感が心地よい布地です。この布地も欧米に大人気で、各国から注文が入り、マハグティの財産となっているようです。

3.新しい挑戦
マハグティはマスコットなどの商品デザインだけでなく、新素材の開発にも積極的です。今回新登場の「竹布」(P14、42)もその一つです。この竹布は、シルクのようなサラッとした肌触りが気持ちよく、マハグティのスタッフにも大人気でした。

福祉プログラムレポート (vol.34)

 サポート会員の方々の会費を中心に、応援してくださる方からの寄付などを加えて、ネパリ・バザーロは子どもたちの教育支援、女性たちの自立支援を行ってきました。ホームの子どもたちへの支援は20年、セービングファンドも開始から4年が経ちました。継続的に行っている支援についてご紹介します。(文:土屋春代)


◇セービングファンド
 将来に備えた財形貯蓄システム。ワーカー本人と職場、ネパリの3者が、一定額をワーカー名義の口座に毎月積立てます。入院、手術、子どもの教育費などまとまったお金の必要な時以外は使えません。

 地方から届いたスパイスを洗浄、加工、パッキングして私たちのところに届けてくれるのはSHS(スパイシー・ホーム・スパイシーズ)の皆さんです。セービングファンドを一番早く開始したところです。5年期限でスタートし、ずっと勤続しているマヤさん、サラスワティさん、チャイトマヤさん、サーノマヤさんたちは今年とうとう5年目を迎えました。ファンドが喜びや励みとなり、仕事にもよい影響を及ぼしていることはシターラさんから聞いてはいましたが、皆はこのファンドをどう思っているのでしょうか。

 ある時、代表のシターラさんがうれしそうに「食事に招待したいから都合のよい日を聞いてくれとマヤさんたちに頼まれたの」と、言いました。シターラさんの手料理はよくご馳走になりますが、今回はワーカーの皆が手料理を振舞ってくれるというのです。それぞれの自宅は離れていて、遠くから通っている人もいるので、シターラさんのキッチンで皆の得意料理をつくりたいと提案があったそうです。
約束の日、時間に伺うと、まだ忙しそうに調理している最中でした。マネージャーで普段は皆を仕切っているマヤさんは家で料理をしないためか、この日はサラスワティさんたちの指示を受けて、皿を取りにいったり、並べたり走り回っていました。私と目が合うと照れたように微笑みました。シターラさんだけでなく夫のアチュトゥさん、娘のアルチャナさん、アンギラさんも招待を受けたゲストなのだそうで、私たちと一緒にイスに座って供されるのを待っている間、初めてのことにうれしくてたまらないという様子でした。作る人も待つ人も、誰もが楽しそうに、普段と違った役割を味わっていました。やがて、並んだ料理を見た時はその種類の多さと初めて見る料理の数々に驚きました。そして、どの料理もほんとうにおいしく、料理自慢のシターラさんも舌を巻くほどの皆の腕前に脱帽でした。

 最後にマヤさんが皆を代表して感謝の言葉を贈ってくれました。でも、どんな感謝の言葉も及ばぬほど、この日の心のこもったおもてなしは皆の気持ちを雄弁に語ってくれていました。仕事を誇りに思い、セービングファンドを将来の拠り所と思っていることが伝わってきました。5年以降のことをシターラさんも含めて話し合いますが、きっとファンドは少し変更しつつも継続することになるでしょう。どのように継続するのか、皆の意見を聞くのがとても楽しみです。

レトルトカレー、カレークラッカーのご紹介 (vol.34)

ネパリのスパイスを使ったおいしいカレーとお菓子のご紹介です~

スパイスと野菜のおいしさがぎゅっと詰まった
レトルトカレー

ネパリのスパイスの調合に手を加えず、地元で採れた野菜をふんだんに使って作られているので、動物性の材料不使用でもコクと旨味がたっぷりのレトルトカレーです。障がい者施設で一つひとつ丁寧に作られるので大量生産はできません。手軽に味わえる贅沢をお愉しみください。
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珈琲工場&百屋
「珈琲工場&百屋」は、ハンディキャップのある人々と一緒に世界各地の厳選されたコーヒー、オーガニックやフェアトレードの商品を販売促進しています。2010年、レトルトカレーを作ることができる障がい者施設との出会いがあり、スタッフの皆さんがネパリのスパイスのファンだということもあって、ネパリのスパイスでカレーを作ることになりました。多くの人に仕事が行き渡ることは珈琲工場&百屋の願いです。
〒241-0005 神奈川県横浜市旭区白根5-14-1 Tel:045-954-5888 Fax:045-954-5777
Open:9:30~18:30(日曜日は10:00~18:00)年中無休
HP:http://homepage2.nifty.com/coffee-hyakuya/
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スパイシーな食事感覚のクラッカー
カレークラッカー

おいしいカレーがいつでもどこでも手軽に食べられるお菓子になりました。風味豊かなスパイスと塩味が効いた、食べごたえのある、食事感覚のクラッカーです。カレークラッカーにスープとサラダで、立派なランチに。ビールやワインのおつまみにもおすすめ。全て、こだわりの原料を使っています。
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森のカフェレストラン 灯鳥
大自然の中、地元で採れたこだわりの素材を使って、心を込めて作られた料理をゆったりと愉しめる場所、「森のカフェレストラン 灯鳥」。ネパリのスパイスと野菜のハーモニーが絶妙なカレーももちろんあります!
〒408-0315 山梨県北杜市白州町白須8056 白州・尾白の森名水公園べるが内
Tel&Fax:0551-35-3146 Open:10:00~18:00/夏期は10:00~21:00
定休:水曜日(夏期は無休)
HP:http://potori.net/
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特集:地域開発 【コラム】ワイルドサーグとコーラ (vol.34)

 ネパール語で青菜のことを「サーグ」と言います。KTEの宿舎の料理担当、パルシュラムさんがある日のランチに「ワイルドサーグですよ!これはおいしいですよ!」と、うれしそうに青菜炒めを出してくれました。「本当だ!ものすごくおいしい!」ディリーさん(*1)と私はパクパク。しかし、農園の健康的な食事がなぜか合わない完二さんはほんの少ししか口にしませんでした。
 
 食後、奨学生2人にインタビューしている間、強烈な睡魔に襲われ、足許はふらつき、ろれつは回らず。静かだったディリーさんも、実はものすごく眠かったことが、夕食の時に判明。あのおいしかった青菜に毒草(薬草?)が混ざっていたのかと笑い話になりました。KTE周辺はアーユルヴェーダの薬草の宝庫だそうです。使い方によって怪我を治したり、病いを癒したり、健康な生活の支えとなるでしょう。フェーズ1(*2)の自立計画の中にも、アーユルヴェーダクリニックの構想があります。

 ワイルドサーグをほとんど食べず、ひとり何ともなく「何事も節制が肝心!」と威張っていた完二さんは、農園のベジタリアン生活になじめず食が細くなるばかり。心配したディリーさんの配慮で、とうとうインスタントヌードルを作ってもらうことになりました。パルシュラムさんはインスタント食品が初めてで「ナヤアイテムバエコレ…(作ったことがないからどうしよう:意訳)」と、かなり緊張していました。最初は失敗。あまりに塩辛いのでお湯で薄めていただきましたが、翌朝にはとてもおいしいヌードルとチャーハンができていました。「おいしい! おいしい!」と完二さんは何度もお代わりしていました。化学物質に汚染された食生活がバレバレ。

 かくいう私も、ネパールの地方に行くとなぜかコーラを飲みたくなり、一番近い街、フィディムバザールまで、完二さんと往復1時間の山道を歩いて飲みに行きました。1本の生ぬるいコーラを2人で分け合い、かなり高い値段を払わされ…とほほ。
(文:土屋春代 ネパリ・バザーロ代表)

*1…KTEの役員。カトマンズ事務所とフィディムの農園を頻繁に行き来し、企画立案や調整を精力的にこなす。55歳の彼は、後20年は仕事にその身を捧げ、引退後は瞑想生活に入ると言う。
*2…KTEの子どもたち全てが10年生までの基礎教育を受けられるようにと、ネパリとKTEが始めた奨学金支援制度。