Posted by kan on 2011年6月17日
暑い夏には欠かせない、さらっさらの履き心地。『ヘンプスリッパ』
さらさらの履き心地で、毎年リピーターも多い定番アイテム、ヘンプスリッパ。天然素材が素足に気持ち良く、一度履いたらやみつきになります。暑い夏に素足を入れると、すっと暑さが和らぐような感触です。履き込む程にやわらかくなり、やさしい履き心地になります。
ヘンプスリッパを作っているのは、変化織りや柿渋染め、服の縫製などで抜群の品質レベルを誇る「コットンクラフト」。衣類にバッグ、ブローチなど、様々な商品を作っていますが、代表のサラダさんは、ヘンプスリッパの注文をいつも心待ちにしています。コットンクラフトでは、様々な状況の女性たちが仕事をしています。教育を受ける機会に恵まれなかったり、厳しい環境で生活をしている女性たち。どんどん縫製技術がレベルアップし、高度な技術を必要とする洋服も縫えるようになる方もいれば、苦手な方もいます。いろいろなレベルの女性たちが仕事をできるように、サラダさんはいつも全体を見て調節しています。ヘンプスリッパは、素材の特長を活かした仕上がりで、手縫いで一つひとつ縫っていくので、多くの女性が仕事に携われるのです。
しかし、頭を悩ませるのは素材の調達です。ヘンプや底の革の手配は、いつも一苦労。ヘンプは遠い村から取り寄せているので、なかなか届きません。毎年収穫時期に合わせて大量に発注しています。それでも、ストライキが頻発するネパールでは、首都カトマンズに辿り着くまでには時間がかかります。夏が終わる頃には翌年分を発注し、寒い冬の間に作りためます。そして、暑い夏の到来を、今か、今かと待ちに待っているヘンプスリッパ。ぜひ一度、お試し頂ければ、天然素材の気持ち良さを実感して頂けることと思います。
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コットンクラフト
柿渋染めや変化織りの服などを作るコットンクラフトは、抜群の品質の高さを誇るとともに、
常に新しいことに積極的に取り組む頼もしい生産者です。
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【写真説明】
①ヘンプスリッパ
②コットンクラフトの代表サラダさん。働く人たちのことをいつも一番に考えて工房をマネージしています。
③コットンクラフトの工房で。皆楽しそうに仕事をしています。栽培から織りまで手がける村の方々から、素材を運ぶ人、コットンクラフトの女性たち、たくさんの人の手を経て、私たちの元に届きます。
④スリッパの裏には、革を縫い付けてすべりにくいように工夫しています。
Posted by kan on 2011年6月17日
町から遠く離れ、生活のとても厳しい農村部の収入向上と環境保護に役立つ非木材生産物として、スパイスは大切なアイテムです。植えてから収穫までの期間が数ヶ月と短いため、投資負担がわずかですみ、収穫まで数年を要する紅茶やコーヒーを栽培することができない厳しい状況にある農民にとって、スパイスの市場が見つかれば、かなりの生活改善が見込めます。しかし、対象となる地域や人々が増えるほどに、人々の生活も事情も様々で、状況把握にも時間がかかります。遠い外国の市場のことや必要となる条件など、農民の理解を得るのも大変です。まだまだ長い道のりの途中ではあるものの、皆様と共に旅してみたいと思います。(文:丑久保完二)
ネパールの有機農業の動き
私たちが扱うスパイスは、東は紅茶、西はコーヒーで培った有機農業がベースになっています。2009年、オーソドックス紅茶委員会(HIMCOOP NEPAL)が地球温暖化への影響を減らすために、炭酸ガス放出量削減に向けた動きに合わせて、人権と環境改善に対する行動規範を制定し、紅茶の更なる質の向上を目指すことを発表しました。コーヒーも、ネパールでは、そのすべてを有機栽培に切り替える方向で紅茶コーヒー委員会がイニシアティブを取ることになり、動きが活発になっています。
この流れは、実は、約18年に亘る東西ネパールでの私たちの活動と密接に関連しています。東はカンチャンジャンガ紅茶農園(KTE)、そこに於ける有機農業の実践と成功が、西はグルミ協同組合の有機コーヒーの実践と成功が現在の動きを導き支えているからです。市場が見つからず苦労したこと、農民との意識の大きなズレなど、ここに至るまでの道はとても険しく厳しいものでしたが、常に勇気づけ、進むべき方向のヒントを与えてくれたのは、ネパールと日本で共に考え、行動し、支えてくれた人々でした。
スパイスを流通にのせるための課題
スパイス栽培の取り組みは、これら紅茶、コーヒーの有機農法の動きを背景に実現してきました。しかし、紅茶、コーヒーとは違い、スパイスは種類も多く、また、収穫時のものと最終商品になったものとは形も質も大きく違うように、工程も複雑で手がかかります。それだけ商品化への道のりも困難なものでしたが、その実現を可能にしたのは、長い年月をかけて構築してきた有機農業を実践するノウハウと人間関係でした。
工程が複雑なため異なる組織間の協働を必要とすることも、作業を難しくしている理由の一つです。日本に住む私たちの感覚では、ビジネスのためにお互いに得意とする分野で契約し、協力し合えば良いと思います。しかし、ネパールでは民族やカーストの異なる組織間での協働はとても難しく、ネパリ・バザーロは仲介役、調整役として接着剤のような役割を果たしています。収穫、運搬、加工、出荷がうまく進まなければなりません。スパイスは、この加工までの部分を主に4つの団体の協働で行っていますが、今回は、特に、東ネパール地域に焦点を当ててご紹介します。
東側から購入しているスパイスは、コリアンダー、シナモン、ベイリーフ、カルダモン、ジンジャーで、ブラックペッパーは準備中です。7つのグループから集められたスパイスをKTEが管理しています。スパイスは、生活直結の必需品でもあり、経済的に脆くて社会情勢が悪いネパールでは、市場の値段が激しく上下しています。ネパリ・バザーロは市場価格には左右されず一定の価格で買取りを約束していますが、市場の値段が高騰すると他に売ってしまい、安くなって困った時だけ買って欲しいという生産者も多くいます。市場価格に振り回されず長期的な視野で共に協力して生活を改善していこうという趣旨を理解してもらうには時間がかかります。市場価格がどうであろうと、がんばって協力してくれる人もいますが、スパイスは種類が多いので、必要な量を集めるのは常に苦労が伴います。
コーヒーや紅茶のように植えてから収穫まで数年かかってしまう作物では取り組むことの難しい、より困窮している農家の収入向上のために始めたスパイス輸入です。ところが、コーヒーのように一つの種類で量が多ければ、安定した供給も可能ですが、私たちの現在の扱い量では、信頼関係もまだ強固ではないことを考えると、全てが計画通りに進むにはまだ数年はかかりそうです。しかし、市場は待ってくれず、品質は維持しなければならず、供給安定化のための施策として、1年間の必要量を推定し、東と西に種類と量を割り振って細かく調整をしてきたため、実際には供給面で問題はでてきませんでした。今後、市場が拡大していくことを考えると、協力してくれる農家を増やし安定供給ができるようにしたいと思っています。
このような状況下では対策として、ある程度の自力生産が必要と考え、スパイスを集める役割担当のKTEもジンジャー、ターメリック、カルダモン、チリとガーリックの栽培を少しずつ試み始めています。
スパイスは、KTE内に住居と畑を持つ、プスパさんをリーダーとする女性グループと農園の更に北側、ゴペタールという地域に住む日本人と良く似た顔立ちのリンブー族のグループが中心になっています。紅茶しかやらないとかたくなに言っていたKTEも変わってきました。
更に、KTEと協力して、良質のブラックペッパーの採れる東ネパール平野部のジャパで、農民たちを協同組合形式に組織化する取り組みも始めています。
ネパリ・バザーロの果たす役割
スパイスを遠隔の地で生産すると、そこから品質を変えずにネパールの首都カトマンズまで運ぶという課題が生まれます。水分を多く含むジンジャーやターメリックは、乾燥させる必要があります。スライスして乾燥させますが、人工的な放射線照射をしないで数ヶ月長期保存するために、特にジンジャーは虫が好むので対策を考えねばなりません。乾燥させた後は、風通しの良い場所で保管していますが、最近では、真空にして保管することも検討しています。生産地でストックをするのは、KTEが行い、カトマンズまで運ぶのもその責任範囲です。加工から商品パッキング、出荷は、スパイシー・ホーム・スパイシーズ(SHS)の仕事です。
皆がどれほど注意を払っていても稀に品質の問題が発生することがあります。その時、誰の責任でどう改善するかを話し合わねばなりません。ネパリ・バザーロを含め、KTEとSHSの3者で話し合います。KTEとSHSでは改善への取り組み方に微妙な違いがあります。設備投資をして改善しようとする積極姿勢のKTE。そのためKTEはシステムや技術がかなり向上してきています。しかし、投資してコストアップした分は最終的にネパリ・バザーロに回ってきます。生産者の基盤の脆弱さを考えると仕方のないことですが、価格に厳しい日本の市場で商品価格に転嫁することができず辛い状況です。
SHSで仕事をしている女性たちは日々の業務を真面目に手を抜かず、こつこつとよく働きます。彼女たちの仕事が村の現金収入に繋がること、国際協力の新しい形を担っているという自覚を持って働いているのです。18歳から10年近く働き、今、全体を束ねる役割を担っているマヤさんは、このスパイスの仕事に意義を感じていると言います。「ネパリ・バザーロを信じ、いつまでもついていきます」と言ってくれます。
スパイスは、今後、その広がりと共に更に多くの地域に貢献していくことになりそうです。それは、地元の意識ある人々と協力し、地域毎の問題改善に取り組む可能性をも秘めています。一部、その取り組みも始めています。ネパールの特産品スパイスは、これからも、一人ひとりの想いを乗せて、新しい出会いの旅に案内してくれることでしょう。
【写真説明】木にからまり自生するブラックペッパー/紅茶農園に自生するコーヒーの実の状態を調べるババニ・バスコタさん/ブラックペッパーを手に持つディリー・ラムカティワダさん/奨学生のママタさんとご自宅にて/ビンロウジュの幹に巻きつくブラックペッパーのつる
Posted by kan on 2011年6月17日
【南城市】~緑豊かで海の見えるくつろぎカフェ~
フェアトレードショップ&カフェ 風の里
「風の里」は、遠くに青い海が見える高台にあり、周りを緑に囲まれた、ゆったりとした空間のお店です。
カフェを担当する高江洲朝男さんは、地元の市場を回って、一番おいしい野菜を選び、肉を使わず、身体に優しい食事を用意しています。ココナッツミルク入り野菜カレーはネパリのベジタブルマサラを使い、野菜のうまみを引き出した満足のプレート。ネパリのコーヒーや紅茶、マサラティー、ジンジャーエールがメニューにあり、ネパリの6種類のクッキーを1個ずつ味見できる「お楽しみクッキー」の一皿も人気です。カフェで味わった後に、商品を購入して帰る方もたくさんいらっしゃいます。
高江洲あやのさんが担当するショップでは、食材のほかに、身体に心地よい衣類、安全な化粧品類などが並んでいて、食事の合間にのぞいてみるのも楽しい時間です。
軍事基地反対、ジュゴン保護活動など沖縄の地を守るために活動を続けてきたお二人が2003年に始めた「風の里」は、多くの人への情報発信の場にもなっています。基地問題だけでなく、失業率の悪化、大規模資本の流入などが沖縄の人々の生活を脅かし、忙しさと疲労を生み出している中で、「風の里」を訪れる人が少しでも気持ちの良い時間を過ごせるよう、ほっとできる空間を提供し、本当の意味での「良いもの」を一つだけでも手にすることで心が豊かになるようにと願っています。
訪れる方は、食事や商品を楽しむだけでなく、あやのさんや朝男さんとのお話、窓からの景色、流れる音楽に心を癒し、明日へのパワーをもらっているようです。
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店主:高江洲 あやの
〒901-1412 沖縄県南城市佐敷新里129 Tel&Fax:098-947-1237
Open:12:00~20:00(定休日:水、木曜)
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【那覇市】~自然と調和を図るライフスタイルを提案する玄米菜食カフェ~
オーガニックカフェ LOHASプロデュース NOAH
「NOAH」は、首里の住宅街にある、民家を改装したカフェです。2006年4月に上地正子さんが始めました。店内は小部屋に区切られ、畳の部屋や、おもちゃを置いたキッズルームもあるので、子ども連れの方も安心して、楽しい時間を過ごせます。
20代の頃身体を壊し、入退院を繰り返す中、真の健康とは何かを追求し、自然食、玄米菜食に行き着きました。食の改善を自ら実践し、食を正せば心・身体・魂のバランスも良くなることを経験し、得たものを通して人の役に経ちたいと強い想いを持っています。「日常に追われる中でバランスを崩すと正しいものを選ぶ力も崩れ、道に迷う。一人ひとりが健康でバランスのとれた良い状態になれば社会全体が良い方向に進め、環境のことも考えられる」と、食を入り口に自然と調和をはかる生き方を知るきっかけの場つくりにカフェを始めました。料理講座、食育、自然農法の野菜生産者を呼んでの講演、映画上映など、イベントも毎月開催しています。
ランチタイムには玄米菜食日替わりプレート、季節野菜の玄米カレーなどがデザート付きのセットで楽しめ、キッズプレートもあります。カフェタイムには、スープセット、玄米コロッケバーガーや、スウィーツとドリンクのセットなどが好評です。
フェアトレード商品は、オープンの頃から置きたいと思っていました。ネパリの商品は、手作り感、自然な風合いが気に入り、食品、雑貨を扱っています。メニューのカレーにもネパリのスパイスをミックスしています。持ち帰りができる軽食やスウィーツもあり、エネルギー溢れる地元の野菜も販売しています。庭で飼われているウサギとカメも、ご来店をお待ちしています。
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店主:上地 正子 〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1-9 Tel&Fax:098-885-7217
Open:月~金11:30~18:00、土・日11:30~21:00(定休日:火曜)
HP:http://www.noahstyle.co.jp
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【那覇市】~うれしい商品が並ぶ小さな店~
エコショップえころん
モノレール首里駅から徒歩15分にある「エコショップえころん」。緑の葉に覆われた2階への階段をのぼると、小柄ながらパワーにあふれる店主の宇地原睦恵さんが迎えてくれます。
2002年、那覇市が情報発信源として地域の商品や環境に配慮した商品を扱うエコアンテナショップZENを国際通りに開店し、その切り盛りを市民団体アースの会に依頼しました。アースの会で、ゴミ減量の啓発活動や環境に優しい店を調査した「かいものガイドブック」の発行などを行っていた宇地原さんは、是非やってみたいと引き受けました。店を運営するうち、100円均一ショップへの疑問からフェアトレードに関心を持ち、調べ、商品も置くようになりました。
2年ほどでZENは他のグループが運営することになり、宇地原さんは現在の場所で「エコショップえころん」として店を再スタートさせました。環境に配慮したもの、沖縄県産の材を使ったスプーンや箸などの台所道具、有機野菜などを販売しています。野菜を栽培している農家を訪問するツアーも行っています。
ネパリのことは、5年前に那覇で春代さんの講演を聴き、「身の丈にあった活動」の話に共感し、扱うようになりました。
店内には畳敷きのスペースがあり、店を訪れた客同士の出会いや情報交換の場ともなっています。また、えころんではモノを売るだけでなく、伝統的な「沖縄そば作り」「ゆし豆腐作り」などのワークショップも行っています。ぜひ、えころんをのぞいてみてください。
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店主:宇地原 睦恵 〒903-0804 沖縄県那覇市首里石嶺2-85
Tel&Fax:098-885-5233 Open:11:00~20:00(定休日:日・月曜)
HP:http://www.ecoron.org/
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【宜野湾市】~ひと・くらし・いのちを見つめる~
ぎのわんセミナーハウス
沖縄キリスト教センター内の「沖縄ぎのわんセミナーハウス」は、研修室の貸し出しを行い、会議、研修、サークル活動など地域の方たちに利用されています。また、若者の育成、アジアへの理解に力を入れた「沖縄の歴史」「平和運動」「環境」「女性」など様々なジャンルのセミナーを開催し、教会と教会をつなぐセンター、教会と社会をつなぐセンターとしての役割を果たしてきました。
フロントでは、クッキー、スパイス、アイピロー、紅茶、コーヒー、雑貨などネパリの商品を販売しています。センターを利用する方だけでなく、購入のために立ち寄ってくれる方、ヘナなどを定期的に購入される方もいらっしゃるそうです。
ネパリが支援しているモーニング・スター・チルドレンズ・ホームのビシュヌさんを、沖縄キリスト教学院大学が2010年3月に招いた際には、このセンターに宿泊し、教会関係の方とも交流を持ち、有意義な時間を過ごしました。
館長の又吉京子さんは、「平和・人権・環境に対する取り組みを、これからも様々な活動を通して続けていきたい、特に、子どもたちが自分のアイデンティティーを確立できるよう沖縄のことを伝えていきたい」。また、「ネパリの商品を通して、諸課題に直面しながら作製に関わっているネパールの人々に思いをはせる機会の場になれば」と語っています。
沖縄やアジアの平和・人権・環境に関する情報に出会い、交流ができる場として、地域に開かれた「沖縄ぎのわんセミナーハウス」にぜひお立ち寄りください。
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館長代行:又吉 京子
〒901-2213沖縄県宜野湾市志真志4丁目24-7沖縄キリスト教センター内
Tel:098-898-4361 Fax:098-897-6963 Open:8:00~22:00(定休日:なし)
HP:http://w1.nirai.ne.jp/oki-gsh/
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【名護市】~森の中の静かなくつろぎの空間~
しゃし★くまーる
「しゃし★くまーる」は「月の息子」というインドの言葉。骨董品や雑貨などを販売し、おいしい喫茶の楽しめるお店です。やんばるのオーシッタイ(大湿帯)と呼ばれる森を深く入ったところにあります。
店主の常盤智子さんと知裕さんは、もともと静岡に暮らしていましたが、沖縄に住みたくて移住し、自分たちで家を建て、生活の糧にと1996年に店を開きました。
喫茶では、無農薬有機栽培のブラジルコーヒー、ダージリン紅茶、すももジュース、手作りケーキ、天然酵母の手作りピザなどが楽しめます。最近は、知裕さんが養蜂を始め、やんばる生まれの無添加非濃縮のはちみつも販売しています。手作りケーキにかけると格別のおいしさです。
ネパリの商品を扱うようになったきっかけは、訪れた客がフェアトレードのことを話しているのを耳にしたことでした。ネパリのことはそれ以前に雑誌で読んで興味を持っていたため、その客から連絡先を聞き、仕入れを申し込みました。沖縄に来て、藍染や手織りを身近に見たことで、服は工場でできるものではなく、大地から生まれるものだと実感したという智子さん。ネパリの手作りの商品をとても気に入ってくれています。
人が来てくれて、話を交わすのを楽しんでいる智子さん。「骨董を販売する喫茶店は静岡にいたころからの夢でしたが、静岡に居続けていたら実現しなかったし、ネパリにも出会わなかったでしょう。沖縄に来て、思っていたことが形になり、自分が何を望んでいたかを改めて実感しました」と優しい笑顔で語ります。
自然の中でのゆったりとした時間と語らいを楽しみに、ぜひ訪れてみてください。
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店主:常盤 智子
〒905-1141沖縄県名護市源河2523-5(通称 オーシッタイ)
TEL&FAX:0980-55-8360 Open:11:00~18:00(定休:月・火曜、11月末2週間、元旦)
HP:http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Marine/6529/shasikmar
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Posted by kan on 2011年6月17日
2010年4月、「フェアトレードの店アチャ」の阿字地千佳子さんと、お店のサポーター3名をご案内し、生産者を訪問しました。帰国直後、お一人ずつが想いを込めた訪問記を書いて送ってくださいました。ほんの一部ではありますが、紹介させて頂きます。
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フェアトレードの店 アチャ
代表:阿字地 千佳子
〒530-0041大阪府大阪市北区天神橋3-2-20
Tel&Fax:06-6357-7739
Open:10:00~19:00(定休日:月曜)
HP:http://www.accha.jp/
Mail:info@accha.jp
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私の店はオープンから5年目を迎えます。「5周年には商品を作って下さる生産者訪問をしたい」と抱いていた夢が、しかもサポーターを含めて4人で実現できたことは最高の幸せです。そして、訪問の先々で涙するほど、言葉では表現できないたくさんの感動と元気をいただいたのです!
生産者団体を中心に15ヶ所ほどの訪問をしました。どの生産者団体や工房も、働くみなさんから、ほとばしる明るさを感じます。
私がさらに深く深く感動したのは、ウシャさんをはじめコットンクラフトのサラダさん、マヌシのパドマサナさん、SHSのシターラさん、ノットクラフトのシャムバダンさんなど、生産者団体を代表される女性のみなさんの生き方です。どなたもすごい能力と私財を、ネパールの女性の自立・地位向上に捧げておられます。ネパールの女性の自立・地位向上の歴史を、自らの手で作られていると言っても過言ではありません。そして、何よりもいち早くその代表のみなさんに手を差し伸べ、信頼し合い、共に苦労を担われているネパリ・バザーロ、土屋春代さんの生き方に大きな感動とエールを、です。「縫い子をつくらず(部分的な作業)、ここをやめた時にも自分の家で一着が縫え、仕事ができることを考えている。自立が基本だから」と、モノ作りに徹する春代さんのすばらしい考え方に、今日の日本が忘れかけようとしているモノ作りの原点を感じるのです。そしてこれこそ本当のフェアトレード、パートナー団体との在り方であると確信しました。
ネパールへの熱き思いを胸に、笑顔で働く仲間のみなさんを思い出し、私も店主としての役割を果たしていこうと決意を新たにしている日々です。
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マヌシで働くカンチさんのお宅を訪問しました。長い急坂をどんどん登ってようやく到着です。当然それが彼女の通勤経路。家の出入り口にヤギがいてびっくり。来る前に女性の大変さを小冊子で読み、とても悲しい気持ちになったのを思い出しました。輪をかけてカンチさんのお話で暗くなってしまいましたが、思いがけず「今は楽しい」という結論になり、ほっとしました。とても美味しいお食事でした。いまごろですが、「あんなに食べちゃって大丈夫だったかしら?」と心配になっています。彼女の明るい笑顔はとても素敵でした。
自分だけでは体験できない多くの機会を頂き、本当のフェア(パートナーシップ)トレードとは、と考える機会を頂いたこと、一つひとつの商品に人のつながりや心や笑顔があることを深く教えて頂いたことに、言葉では表せられないくらい感謝しています。(野中美穂子)
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子どもを産んでも安心して働ける職場!! このネパールにありました。マハグティでは隣に託児所があり、2ヶ月の子どもから預かってもらえます。マハグティでは、聴覚障害のある人も積極的に雇い、雇用側も自ら手話を学び、安心して働きやすい職場作りをしています。また、ネパールで女性が男性と一緒に働くことの困難さも聞きました。セクハラ、レイプ、その他の嫌がらせもたくさんあるそうです。家族からの協力や理解が得られないため、女性が外に出て働くことが難しく社会進出が進まないということも聞きました。
日本で商品(作品!)を手に取った時、作っていた皆の顔が思い出されて、自然と笑顔になっていきます。私も日本で頑張ろう! とパワーがあふれてきます。大好きな人に「大好き!」と言ってもらえたような、いい訪問になりました。(院田瞳)
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日本でぼけっと生きている私に衝撃的な言葉をくれたのは紙布を作っているヤングワオ代表のウシャさんです。「私たちにできないものはない、政治が邪魔をしなければ何だってできるのだ」と。ネパールのストライキも水不足も停電も全て政治がうまくいっていないからです。それでは、政治に支障のない私は「何にでもトライし、かつ成功させてみせる!」と断言することができるでしょうか。
ネパールの女たちの自立への「戦」、日本の消費者に向けてのマーケティング戦略の「戦」、そして何があっても成功させるというチャレンジへの「戦」…日本やネパールでの「戦」が合わさって柔らかくしなやかな商品が創られている、そんなネパリ・マジックを体感しました。そしてこれから転職する私は、自分なりにこのパワーを応用し、いつか、ウシャさんが断言したことを言えるような人間に成長していきたいと思います。(上村めぐみ)
Posted by kan on 2011年6月16日
ネパリ・バザーロが1992年から生活支援を続けている「モーニング・スター・チルドレンズ・ホーム」は、ネパール人のご夫婦ビシュヌさんとムナさんが、自宅に身寄りのない子どもたちを引き取り、家族同様に育てているホームです。出会ったころは7、8名の子どもたちでしたが、経済状況の厳しさが続く中、政情不安も重なり、多くの子どもたちが行き場を失い、ビシュヌさんのホームに身を寄せるようになり、常に50名以上の子どもたちが暮らしています。親を亡くした子、災害で家族離散してしまった子、マオイストに親を殺された子、親がいても養育を受けられず街へ出てきた子・・・ビシュヌさんとムナさんの温かい愛情と、子どもたち同士の交流で、明るい笑顔を取り戻し、元気に学校に通っています。
1990年に子どもたちを引き取るようになってから今までにホームを巣立っていった子は300人にもなります。ホームを離れてからも近況を伝えてくれるそうです。学校の教師になった子が約50名。外国に出稼ぎに行っている子、自分で事業を興した子もいます。8割近くの子が結婚しています。
ビシュヌさんたちの実の娘のジョティ・パラジュリさん(21)は、共に育ったスニタ・タマンさん(24)と一緒に2008年に看護学校を卒業し、病院でのトレーニングを受けています。
子どものころから下の子の面倒をよく見ていたサビトリ・シュレスタさん(28)は、2002年に結婚してホームの近くに住んでいます。2007年にネパリのスタッフ、ボランティアが大勢でホームを訪れた時には夫や子どもと一緒に駆けつけてくれました。
アルジュン・ダカルさん(32)とレベッカ・ダカルさん(27)の兄妹は、ネパリが支援を始めたころからホームにいたので、私たちにとっても思い入れの深い二人です。アルジュンさんは高校卒業後、ネパリの支援で大学に進み、卒業後はビシュヌさんの紹介で教会関係の出版の仕事に就きました。ホーム最年長のしっかり者で、ビシュヌさんの片腕となり頼りにされていましたが、本人の希望で部屋を借りて独立しました。2003年に結婚し、身寄りのない子を引き取り、ホームを始めました。今はNGOでマネジメントの仕事をしながら10人の子どもたちの面倒を夫婦で見ています。レベッカさんは卒業後ホテルの受付の職に就きましたが、2004年に結婚し、夫の働くアブダビへ移りました。二人の男の子の母親となり、最近カトマンズに一家で戻ってきました。
「ネパリ・バザーロの皆さんが20年近くにわたりモーニング・スター・チルドレンズ・ホームを支援してくださっていることを、とても幸せに思います。また、以前私に教育支援をしてくださったことも深く感謝します。私には親のない、貧しく、恵まれない子どもたちへの強い想いがあります。自分も同じ境遇だったので、彼らの気持ちがよくわかります。ホームの運営には多くの困難も伴いますが、ネパールのこうした子どもたちを助けたいという想いが変わることはありません」(アルジュン・ダカル 2010年5月)
Posted by kan on 2011年6月16日
シディマンさんの仕事部屋からは、
いつも心地よい音が響いています。
左手には彫刻刀を、右手には木槌代わりの木片を持ち
縁取りは力強く、『タタタン、タン』
慣れているラインは、『トントン、トントン』
仕上げの微調節はやさしく、『トトン、トトン』・・・
その間に、板はクルクル回り、彫る刃は次々替わります。
傘の骨や自転車のスポークから作った
カーブが急なもの、なだらかなもの、
太いもの、細いもの、
全てが微妙に違う25種類の刃から
ラインに合わせて
どれがちょうどいいか瞬時に判断し
少し彫っては、クルクルっと板を回して彫る角度を変え
溜まった木くずを『ふぅー』っとやさしく飛ばし
そしてまた刃を替えて彫り進めます。
一連の作業がリズムにのって繰り返され
少しずつ、少しずつ、スタンプが完成に近づきます。
一日に作れるのは5、6個くらいだそうです。
シディマンさんと出会って19年間。
このリズムの繰り返しが
色々なことを物語ってくれているような気がしました。
できあがったスタンプは、
木の温もりにシディマンさんの心が加わって
とても、とても温かく感じました。
Posted by admin on 2011年6月16日
シリンゲは、ラリトプール郡の最南端に位置します。起伏が激しいカブレ、マクワンプルに接し、行き来の難しい所です。カトマンズからバスを乗り継いでほぼ1日掛かり、そこから徒歩で険しい山道を8時間以上歩くとシリンゲに辿り着きます。冬の2月でも朝8時ともなるととても暑く、じっとしていても汗ばむほどで、5月は40度を超えます。
2009年秋号(VOL28)でもご紹介したコーヒーの生産地、シリンゲのその後をお伝えします。
シリンゲへの道が少しずつできています
2010年2月17日からの訪問は、昨年2月、5月に続き、3度目になります。昨年よりも道路が延び、チョンナンプールやナムンダラから歩いていた頃に比べると4時間の短縮になりますが、雨期やその直後は、やはり8時間以上歩く必要があります。
車は7時半にネパールの首都カトマンズを出発。スンコティ、テツ、チャパガウン、レレ、ノルーを経てチョウガリに着く頃にはお昼近くになり、ここでお茶休息をして再び走り始めました。ゴッティケル、チョンナンプール、そしてナムンダラ。チョンナンプールかナムンダラが今まで車で行けた最南端です。ここで、再び休息。村人が宿泊に利用する質素な施設もあります。茶屋に入ると、主人が「おう!また来たね。ナマステ」と笑顔で迎えてくれ、小麦粉を揚げたパンのような、ほんのりと甘く美味しいマルパを頂きました。時間は既に1時半を回っていました。そこへ村人を代表して数人が、コーヒーの実と葉っぱで作った首飾りと国の花ラリグラスを持ち、迎えにきてくれました。この季節は山のあちらこちらに、ラリグラスが咲き、とても綺麗です。
ナムンドラの先に道がなかなか延びなかった理由の一つは、この地の経済的ダメージを恐れる人々の反対があったことでした。道が延びれば、人々はここに留まらず素通りしてしまいます。休憩や食事、宿泊する人が減ってしまうことを危惧して道路延伸に反対していました。しかし、あまりに険しい地理的状況下では、地域全体の人々の暮らしの改善を考えることが必要です。粘り強く説得を重ね、ようやく、その理解を得て、道を延ばすことができるようになりました。
車は新しく切り開いた道を走り、工事中のところに着きました。ここからは4時間になったとはいえ、急斜面の上り下りが待っていて、難所であることに変わりはありません。道路工事にかかわっているミラン・スヌワールさんも、シリンゲ協同組合のメンバーです。作業している所に近づくと、斜面の石や土を砕き除く工事用機械を誇らしそうに指差して、運転席に座ってみろと誘ってくれました。
さあ、この場所から、いよいよ徒歩でいかねばなりません。毎回、往きは張りきっているので良いのですが、帰りは、村の中を歩き回った疲労も加わり、急斜面の道は大変堪えます。そのことが頭をよぎり、気持ちが引き締まりました。
シリンゲの宿へ
村に着くと、変わらず村を見守るようにカレソール山がそそり立っています。自然の厳しさと、そこに住む村人のたくましさを象徴しているかのようです。起伏に富んだ手付かずの自然の中で暮らすこの地域では山猫に家畜が食べられる被害もでています。
今回の目的は、有機証明取得要件が整備されているか、現在の村人がかかえる問題点は何か、今後の生活改善を目指すなかで何ができるかを、各家庭を訪問しながら話し合っていくことです。村での宿泊場所は、シリンゲの中心にある、コーヒー協同組合のメンバー、デゥラルさんのお宅です。メンバーの家々、そして、その畑を見て状況の把握をしながらデゥラルさんの家に到着。昨年訪問した時にバドミントンで一緒に遊んだ子どもたちが待ち構えていて、休む間も与えられず早速バドミントンを始めることになりました。
シリンゲ協同組合のメンバー訪問
シリンゲコーヒー協同組合員は、トップカーストのブラーマンから、チェトリ、タマン、ダリット(アウトカースト)を含み、カーストを超えて仲良く運営しています。理事も同様に多くのカーストを含み、バランスをとっています。これは、法律上はカースト差別が禁止されたとはいえ、いまださまざまな場面に偏見と差別が根強く残るネパール社会にあって、とても画期的なことです。
昼間は、家庭訪問を行うため、村人とのミーティングは全体会議だけ到着翌日の午前中に行い、その他は夕食後の遅い時間に行いました。30分、1時間とかけて、夜道を来るのは大変なことです。それでも皆毎晩集まり、夜12時過ぎまで活発な意見交換をしました。家庭訪問も、滞在が限られているので、真っ暗になるまで時間を惜しんで歩き回りました。いざ帰ろうとすると、誰も懐中電灯を持っていません。この辺一帯を知り尽くしている村人たちも、さすがに暗闇では急斜面を歩けません。私が持参した、いつ消えるかわからない簡易ライト3個をたよりに6人で宿泊場所まで帰ることになりました。
仲間はずれにされる背景とはね返す力
シリンゲコーヒー協同組合のメンバーたちは、教育をほとんど受けていないことやあまりにも貧しいことを理由に、今日に至るまで地域のなかで見下され差別されてきました。
協同組合を設立し代表となったバドリさんはそうした偏見や差別に屈せず16年間コーヒーの市場を細々ながら守ってきました。そんなバドリさんを現在カトマンズで輸出入代行会社を経営しているディリーさんとネパリ・バザーロが長年支え続けてきました。更に、協同組合設立の実現には組合員の農民たちの団結とバドリさんに寄せる強い信頼がありました。だまされて土地を取り上げられそうになった時、バドリさんがお金を工面して助けてくれたという人や、コーヒー栽培のことを手取り足取り教えてもらい僅かでも現金収入を得られて助かったという人、自分の利益だけを考えるのではなく、周囲の困窮している人々に手を差し伸べるバドリさんの姿を見てきた人たちが集まり、結束を切り崩そうと激しい圧力がかけられる中、バドリさんを盛り立て支えてきました。
西ネパールのグルミのコーヒー生産者たちに韓国という市場を紹介した私たちは、16年の歳月を経て、ようやく、ここ、シリンゲのコーヒー農民の支援活動に本格的に取り組むことができるようになりました。国際基準の有機証明取得を目指し、未組織だった彼らを協同組合に組織化することから始めました。見下してきた人々は、シリンゲの農民たちが年間1トン、2トンのコーヒーを売っていたときはさほど気にしていませんでしたが、ネパリ・バザーロという後ろ盾を得て組織化されては無視できない存在になってしまうと恐れました。そこで、協同組合にできないように妨害を試みましたが、シリンゲを応援するディリーさんの協力と農民たちの強い意志で、それは失敗に終わりました。しかし、彼らの思惑は、次なる画策に繋がっていくことになりました。国際NGOの出先機関やコーヒーブローカーとの思惑、利害とも一致し、結束した彼らは、より強大な力となってシリンゲを孤立させ、大きな組合の下に置いて支配し、力を蓄え自立することを阻もうとしました。これはシリンゲだけでなくどこにも在り得ることだと思いますが、弱い立場の人々は、常にその状況下に置かれる構造がある、ということです。学際的な研究は進み、どのような仕組みを導入すれば生活が向上できるか、などなど理論は明確になってきていますが、それを実践する人の利害や思惑がそれを阻む要因でもあることを教えてくれています。粘り強い挑戦は、これからも続きますが、他者から支配されることをよしとせず自立を目指す志の高い人々を応援できることは光栄で、これまで培ってきた全ての力を注ぎ頑張りたいと思います。