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商品開発物語:こぶたとねずみのリストピロー (vol.34)

キーボードを打つ時に手首を置くだけでなく、疲れた肩にのせたりも。中に入っている天然素材、亜麻の種のちょうどいい重みで、疲れがじわーっと和らぎ、癖になる気持ちよさ。表情も一つひとつ違います。

マハグティを訪れる各国のバイヤーから注目され、今やネパールから世界に羽ばたいている大人気のアイピロー、ポチとタマ(84頁)。ネパリ・バザーロが開発したデザインが気に入られ、欧米からは、ドアストッパーとして巨大サイズの発注も来ているほどです。抱き枕かと思うようなポチとタマを、数人がかりで作っています。昨今の経済不況の中でも、マハグティが何とか仕事を確保し、工房を続けられているのも、アイピローのおかげだそうです。
 マハグティのスタッフも頑張っています。「私たち自身で新商品を開発しましょう!」新しいことをしていれば、きっと結果はついてくるはず。取り組むスタッフも、モチベーションが高まります。
 それから、訪ねる度にポチとタマからヒントを得た新しい商品を見せてくれました。カエルやくまのアイピロー、うさぎやカバのマスコット…そんな中、パッと目に飛び込んできたのが、『こぶたとねずみのリストピロー』。愛嬌のある顔つき、手の平サイズの心地よい重み、保多織りのシャリシャリッとした肌触り。手の平の上で、今にもモソモソと動き出しそうです。
 「これはかわいい!これでいきましょう!」
商品化することを決めると、マハグティのスタッフも嬉しそう。サイズなど、仕様の微調整を伝えて、その都度サンプルを作ってもらいました。このようなやりとりを何回か経て、ようやく完成しました。
 カタログ掲載後、お客様からも、「こういう商品を待っていました」と嬉しいお声を頂きました。ネパリ・バザーロの事務所から、お客様の元へ次々と旅立っていきます。マハグティのスタッフと共に、これからも大事に商品を育てていきたいと思います。

1.「もったいない」から生まれた
服を作る過程で、どうしても出てしまう「はぎれ」。ネパールの方々が糸を紡ぎ、手織りし、手染めした布は、もったいなくて捨てられません。ネパリ・バザーロは、はぎれを活かした商品開発を大切にしています。このリストピローもはぎれを使っています。同じ布で服を作っているので、リストピローとお揃いになることも!そんな日は、デスクの上のリストピローと共に、一日嬉しい気持ちで過ごせます。

2.欧米にも人気の保多織り
リストピローに使っているのは「保多織り」という手織り綿です。2004年、2005年と日本の染織作家の方をネパールにお連れして、技術指導をして頂いた時に生まれた布です。「多年を保つ」ことに由来する名前の通り、いつまでも丈夫で長持ちすることが特長です。吸湿性と保温性に優れていて、凹凸のあるシャリ感が心地よい布地です。この布地も欧米に大人気で、各国から注文が入り、マハグティの財産となっているようです。

3.新しい挑戦
マハグティはマスコットなどの商品デザインだけでなく、新素材の開発にも積極的です。今回新登場の「竹布」(P14、42)もその一つです。この竹布は、シルクのようなサラッとした肌触りが気持ちよく、マハグティのスタッフにも大人気でした。

福祉プログラムレポート (vol.34)

 サポート会員の方々の会費を中心に、応援してくださる方からの寄付などを加えて、ネパリ・バザーロは子どもたちの教育支援、女性たちの自立支援を行ってきました。ホームの子どもたちへの支援は20年、セービングファンドも開始から4年が経ちました。継続的に行っている支援についてご紹介します。(文:土屋春代)


◇セービングファンド
 将来に備えた財形貯蓄システム。ワーカー本人と職場、ネパリの3者が、一定額をワーカー名義の口座に毎月積立てます。入院、手術、子どもの教育費などまとまったお金の必要な時以外は使えません。

 地方から届いたスパイスを洗浄、加工、パッキングして私たちのところに届けてくれるのはSHS(スパイシー・ホーム・スパイシーズ)の皆さんです。セービングファンドを一番早く開始したところです。5年期限でスタートし、ずっと勤続しているマヤさん、サラスワティさん、チャイトマヤさん、サーノマヤさんたちは今年とうとう5年目を迎えました。ファンドが喜びや励みとなり、仕事にもよい影響を及ぼしていることはシターラさんから聞いてはいましたが、皆はこのファンドをどう思っているのでしょうか。

 ある時、代表のシターラさんがうれしそうに「食事に招待したいから都合のよい日を聞いてくれとマヤさんたちに頼まれたの」と、言いました。シターラさんの手料理はよくご馳走になりますが、今回はワーカーの皆が手料理を振舞ってくれるというのです。それぞれの自宅は離れていて、遠くから通っている人もいるので、シターラさんのキッチンで皆の得意料理をつくりたいと提案があったそうです。
約束の日、時間に伺うと、まだ忙しそうに調理している最中でした。マネージャーで普段は皆を仕切っているマヤさんは家で料理をしないためか、この日はサラスワティさんたちの指示を受けて、皿を取りにいったり、並べたり走り回っていました。私と目が合うと照れたように微笑みました。シターラさんだけでなく夫のアチュトゥさん、娘のアルチャナさん、アンギラさんも招待を受けたゲストなのだそうで、私たちと一緒にイスに座って供されるのを待っている間、初めてのことにうれしくてたまらないという様子でした。作る人も待つ人も、誰もが楽しそうに、普段と違った役割を味わっていました。やがて、並んだ料理を見た時はその種類の多さと初めて見る料理の数々に驚きました。そして、どの料理もほんとうにおいしく、料理自慢のシターラさんも舌を巻くほどの皆の腕前に脱帽でした。

 最後にマヤさんが皆を代表して感謝の言葉を贈ってくれました。でも、どんな感謝の言葉も及ばぬほど、この日の心のこもったおもてなしは皆の気持ちを雄弁に語ってくれていました。仕事を誇りに思い、セービングファンドを将来の拠り所と思っていることが伝わってきました。5年以降のことをシターラさんも含めて話し合いますが、きっとファンドは少し変更しつつも継続することになるでしょう。どのように継続するのか、皆の意見を聞くのがとても楽しみです。

レトルトカレー、カレークラッカーのご紹介 (vol.34)

ネパリのスパイスを使ったおいしいカレーとお菓子のご紹介です~

スパイスと野菜のおいしさがぎゅっと詰まった
レトルトカレー

ネパリのスパイスの調合に手を加えず、地元で採れた野菜をふんだんに使って作られているので、動物性の材料不使用でもコクと旨味がたっぷりのレトルトカレーです。障がい者施設で一つひとつ丁寧に作られるので大量生産はできません。手軽に味わえる贅沢をお愉しみください。
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珈琲工場&百屋
「珈琲工場&百屋」は、ハンディキャップのある人々と一緒に世界各地の厳選されたコーヒー、オーガニックやフェアトレードの商品を販売促進しています。2010年、レトルトカレーを作ることができる障がい者施設との出会いがあり、スタッフの皆さんがネパリのスパイスのファンだということもあって、ネパリのスパイスでカレーを作ることになりました。多くの人に仕事が行き渡ることは珈琲工場&百屋の願いです。
〒241-0005 神奈川県横浜市旭区白根5-14-1 Tel:045-954-5888 Fax:045-954-5777
Open:9:30~18:30(日曜日は10:00~18:00)年中無休
HP:http://homepage2.nifty.com/coffee-hyakuya/
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スパイシーな食事感覚のクラッカー
カレークラッカー

おいしいカレーがいつでもどこでも手軽に食べられるお菓子になりました。風味豊かなスパイスと塩味が効いた、食べごたえのある、食事感覚のクラッカーです。カレークラッカーにスープとサラダで、立派なランチに。ビールやワインのおつまみにもおすすめ。全て、こだわりの原料を使っています。
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森のカフェレストラン 灯鳥
大自然の中、地元で採れたこだわりの素材を使って、心を込めて作られた料理をゆったりと愉しめる場所、「森のカフェレストラン 灯鳥」。ネパリのスパイスと野菜のハーモニーが絶妙なカレーももちろんあります!
〒408-0315 山梨県北杜市白州町白須8056 白州・尾白の森名水公園べるが内
Tel&Fax:0551-35-3146 Open:10:00~18:00/夏期は10:00~21:00
定休:水曜日(夏期は無休)
HP:http://potori.net/
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特集:地域開発 【コラム】ワイルドサーグとコーラ (vol.34)

 ネパール語で青菜のことを「サーグ」と言います。KTEの宿舎の料理担当、パルシュラムさんがある日のランチに「ワイルドサーグですよ!これはおいしいですよ!」と、うれしそうに青菜炒めを出してくれました。「本当だ!ものすごくおいしい!」ディリーさん(*1)と私はパクパク。しかし、農園の健康的な食事がなぜか合わない完二さんはほんの少ししか口にしませんでした。
 
 食後、奨学生2人にインタビューしている間、強烈な睡魔に襲われ、足許はふらつき、ろれつは回らず。静かだったディリーさんも、実はものすごく眠かったことが、夕食の時に判明。あのおいしかった青菜に毒草(薬草?)が混ざっていたのかと笑い話になりました。KTE周辺はアーユルヴェーダの薬草の宝庫だそうです。使い方によって怪我を治したり、病いを癒したり、健康な生活の支えとなるでしょう。フェーズ1(*2)の自立計画の中にも、アーユルヴェーダクリニックの構想があります。

 ワイルドサーグをほとんど食べず、ひとり何ともなく「何事も節制が肝心!」と威張っていた完二さんは、農園のベジタリアン生活になじめず食が細くなるばかり。心配したディリーさんの配慮で、とうとうインスタントヌードルを作ってもらうことになりました。パルシュラムさんはインスタント食品が初めてで「ナヤアイテムバエコレ…(作ったことがないからどうしよう:意訳)」と、かなり緊張していました。最初は失敗。あまりに塩辛いのでお湯で薄めていただきましたが、翌朝にはとてもおいしいヌードルとチャーハンができていました。「おいしい! おいしい!」と完二さんは何度もお代わりしていました。化学物質に汚染された食生活がバレバレ。

 かくいう私も、ネパールの地方に行くとなぜかコーラを飲みたくなり、一番近い街、フィディムバザールまで、完二さんと往復1時間の山道を歩いて飲みに行きました。1本の生ぬるいコーラを2人で分け合い、かなり高い値段を払わされ…とほほ。
(文:土屋春代 ネパリ・バザーロ代表)

*1…KTEの役員。カトマンズ事務所とフィディムの農園を頻繁に行き来し、企画立案や調整を精力的にこなす。55歳の彼は、後20年は仕事にその身を捧げ、引退後は瞑想生活に入ると言う。
*2…KTEの子どもたち全てが10年生までの基礎教育を受けられるようにと、ネパリとKTEが始めた奨学金支援制度。

特集:地域開発 スパイスに賭ける (vol.34)

 スパイス栽培地の人々の生活向上に向けて、調査と話し合いのため、前回訪問から約1ケ月後の2010年11月17日、再び東ネパールのエベレスト山麓、フィディムの村を訪れました。例年の乾季の晴れ渡った空とは違って曇り空。しかも、前日まで降り続いた雨で、舗装されていない道路は深くえぐられた轍ができて、大きな車輪のジープかトラックでなければ通れない状態でした。ネパールでは、10月から11月にかけてダサイン、ティハールという大きなお祭りが続き、多くの人が帰省する時期で、乾季で天気も良いのが普通でした。しかし、ここ数年は雨季の開始が遅くなり、その分、終わっているはずの時期にいつまでも雨が降り続き、地滑りも多発しています。
 気候変動の影響はそこかしこに現れています。この地域の名産、世界一の輸出量を誇るカルダモンは収穫が激減したため価格が高騰し、例年の8倍の値をつけていました。フィディムは、美味しいオレンジが採れる地域でもありますが、従来の土地では収穫が減り、より適した場所を早急に探さねばならない、と農民の方々が訴えていました。先祖代々の栽培ノウハウだけでは対応しきれなくなった環境変化を肌で感じ、懸命に工夫をしていますが、特に遠隔地では、残念ながらその努力が農民の生活向上に直結してはいません。しかし、どれほど環境が変化しても、努力が報われなくとも人々は生き抜いていかねばなりません。今回は、やっと緒に就いたスパイスの取組みの様子をお伝えします。(文:丑久保完二 ネパリ・バザーロ副代表)

ネパールの有機農業への取組み

 私たち、ネパリ・バザーロ(以下、ネパリ)は、農産物の取引に関わるようになった初めの頃から、西はコーヒー、東は紅茶と定め、農薬使用が広まりつつあった状況の中で、作る人にとっても、食べる人にとっても安全で安心できる農法を追及しようと、有機農業を進めてきました。
 当時、東ネパールのカンチャンジャンガ紅茶農園(以下、KTE)がネパールで唯一、国際標準の有機認証を受けていました。そこで、栽培支援をしていた西ネパールのグルミ、アルガカンチの将来のためにコーヒーでも有機認証を得ようと決意しました。ところが、オーガニックという概念がまだ一般的ではなく、農薬も化学肥料も使用したことのない農民たちはわざわざ証明を取る必要性を理解せず、1998年、オーストラリアから検査官を招いて現地に伴った際、「ここなら直ぐに認証は取れる。早く申請しなさい」と奨められたにもかかわらず、いつまでも書類作成に協力しようとしませんでした。何度も現地に通い、説得を重ねて準備を進め、ようやく2006年、ネパール初のコーヒーでの有機証明取得に至りました。そして、その過程で知り合った農業専門家の方々と協力しながら、東と西の拠点を中心に、ネパールにおける有機農業の情報発信の役割を担ってきました。
 こうして培った知識や技術、ネットワークを動員し、スパイスも有機農業で進めてきました。最近は、ネパールで最も紅茶生産の盛んなイラムでも有機農法の導入が増えつつあります。コーヒーは、国を挙げて、全てを有機農業に切り替える段階まで近づいています。

スパイスの有機栽培への取組み

 私たちのスパイス生産者の一部が住む東ネパールの村々は、首都カトマンズから飛行機で小1時間、そこから北へ車で8時間ほど行ったパンチタール郡にあります。中心となる町はフィディムです。そのフィディムから更に各方向に車で数時間離れた農家の人々が、10世帯から50世帯前後のグループや協同組合を作って、それぞれの土地に適したスパイスの栽培をしています。この地域に住む人々の多くはリンブーという民族で、自然を神として崇め、先祖代々の土地を最良の状態で守っていくという意識が高く、そのための研究や挑戦にとても熱心です。基本的に先人の教えに沿った農法を引き継いでいますが、なかには農薬を使って生産量を一時的に伸ばしたものの土地が荒れ、その反省から有機農法に転換した生産者もいます。栽培技術などの情報や品質管理、流通の中心になるのはKTEです。
 KTEが紅茶だけでなく、スパイス、ハーブまで扱うに至った背景には、ネパリの存在があります。2001年、ネパリがKTEの紅茶の販売を開始して数年後、後発としては何か特徴のある製品を出す必要を感じ、マサラティーを企画しました。ところが、ダージリンティーと同等の品質を誇るKTEはオーソドックスティーにこだわり、本来の味を乱すような余計なものを混ぜるとは邪道だと言わんばかりに露骨に嫌がりました。ネパリは既存商品のリーフティーやティーバッグと同様、マサラティーも有機認証を受けたものにするために、認証を直ぐに得られるKTE周辺のスパイスを使用し、カレーセットを作ってもらっているカトマンズの生産者スパイシー・ホーム・スパイシーズ(63頁参照)に依頼してティーマサラを調合し、紅茶とセットで販売しました。紅茶の販売がまだ軌道に乗っていなかったKTEはその好調な売れ行きを見て、他の取引先にジンジャーやレモングラスなど、スパイスやハーブと混ぜた紅茶を提案してみたところ、ヒット商品になりました。
 そこで、2000年から販売開始したスパイス製品の全種を有機栽培のものに切り替えたいと模索していたネパリは、東はKTEに協力してもらいオーガニックスパイスの生産に取組むことになりました。紅茶栽培のように換金まで数年を要する作物の栽培ができない、フィディム地域の困窮している農家の収入手段としても有効な、スパイス栽培への本格的な取組みはこうして始まりました。

遠隔地の生活向上に寄与するために

 紅茶、コーヒーと違い、スパイスは多品種を必要とするため、栽培地域も広く分散しています。暑く湿気のある土地でなければ採れないスパイスもあれば、寒冷地や乾燥した場所が適したスパイスもあるからです。ネパリは小規模な組織や、より困窮している生産者と一人ひとり密接に、きめ細かく関わろうとするため、異なる地形や気候で栽培条件や生活環境が違い、また文化や習慣なども様々な生産者とつながることになるスパイスはより困難を極めます。紅茶やコーヒーでの成功や失敗などの豊富な実体験がなければ、とても取り組めるものではありません。
 スパイスはNTFP(Non Timber Forest Products)に属しています。NTFPとは、成長が早いため環境にやさしく、また、短期間で現金収入を得られる植物として、国際協力機関が重要視している作物ですが、いまだ市場につながり収入を得るところまで至った組織はありません。スパイスは生産から加工に至るまでの工程が複雑で、利害の異なる関係者が多く絡むため、現地と深く関わり市場も持つ、ネパリのような存在が必要とされています。
 遠隔地になればなるほど、有機スパイスの生産に適した場所が増えてはいきますが、人々の生活は厳しくなります。流通の不便さから近隣の小さな市場での販売に限られてしまい、遠方の大きな市場へのアクセスが難しく、安定した収入を得られないからです。流通の困難さはまた、近隣への供給であれば問題が起きなくとも、遠方では時間がかかり過ぎてカビが発生するなどの品質上の問題も引き起こしてしまいます。このような環境にある農民にとって、技術供与などの必要な支援をし、世界の市場との中継点となるKTEの存在は大きく、そのイニシアチブを取る私たちの活動はとても重要です。

課題改善への取組み

 現在の大きな課題は、品質向上と安定供給をいかに図るかです。基本的には、それぞれのグループの主要アイテムを絞り、責任を明確にし、より改善がしやすいようにすることです。そして、アイテム毎に2つのグループが栽培を担うようにし、収穫が予定通りにいかなかった時に補い合ったり、品質を競い合ったりするようにします。小さなグループは、伝達がしやすくまとまりも良いのですが、生産量に限界があります。また、大きくなったグループは、私たちのように必要量が少なく収穫を全量買い取ることができない場合、メンバー間の調整が大変です。同じグループのメンバーであっても、それぞれ状況や収穫量が違うのでどうしたら皆が納得でき、力を合わせることができるのか、グループ内部のバランスにまで気を配らねばなりません。紛争の種にならないような配慮が必要です。
 気候変動の影響が増せば、これまで自然乾燥できていた収穫時期に雨が降るという危惧もあり、数ヶ月の保存に耐えるよう乾燥が十分にできる設備がそれぞれのグループで必要になってくるでしょう。ジンジャーのように栽培過程も含め虫が付きやすく苦労の多い種類もあります。自然が相手である以上、課題はつきませんが、これからも、人々の生活向上に役立つことを願って挑戦して参ります。

フェアトレードのお店紹介 (vol.33)

●山口県
ほっこり和めるお気に入りが見つかる店
うたちゃんの店スタジオT’s

 柳井駅から徒歩10分ほど。住宅街の白い家が「うたちゃんの店」です。本当は「スタジオT’s」という店名なのですが、店主の吉﨑歌子さんの愛称で呼ぶ「うたちゃんの店」の方がメインになってしまいました。
 お友達が一人暮らし用に建てた住居を、転勤で不在になるということで1996年に購入し、越してきました。ギャラリーにしていた時期もあるというおしゃれな建物に触発されたのか、店をやりたいという以前からの思いが大きくなり、引っ越して半年後に起業。好みの衣料や雑貨の小売店を始めました。お客様からの要望もあり、数年後には古物商の免許を取り、オークションに参加してアンティークも置くようになりました。カナダ、イギリス、アメリカのアンティーク、日本の骨董、古道具を扱っています。玄関から中2階、階下のリビングへと、所狭しと飾られた雑貨は宝探しのようで、いくら見ていても飽きることがありません。
 月に何回か仕入れている新商品は、ブログに写真つきで紹介しています。車で5分ほどの旭ヶ丘に建てたミニログハウスには、洋風アンティークを限定して置いています(14:00~18:00、水曜定休)。
 ネパリの商品は、本屋でカタログを見つけ、自然素材が気に入って、まずは自分用に購入。実際手に取ってみて良かったので、商品アイテムは限られるものの、スプーン、アイピロー、フェルト小物、衣類など気に入ったものを厳選して店に置いています。「親の経済状況の改善が子どもたちの教育向上につながるというネパリの考えや、紙布や柿渋、サヌ・バイさんの小物など、手作りの行程を大切にする姿勢にも共感しています」と吉﨑さん。いい出会いがきっと待っています。ぜひお気軽にのぞいてみてください。
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店主:吉﨑歌子 〒742-0021 山口県柳井市柳井3867-2
Tel:0820-23-7242 Open:11:00~19:00(10~3月は18:00まで)(定休日:水、第4火曜)
HP:http://blog57615.blog104.fc2.com/
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●岡山県
Happy Happyで世界を変えるお店
コットン古都夢

 後楽園のすぐ近く、大正時代に出石街の公会堂として建てられ、戦争でも焼けずに残った洋風の建物の1階が「コットン古都夢」です。仕事をしている人、主婦などさまざまな人が集まり、奥津幸さんを責任者として、1988年7月にオープンしました。
 始めた頃はフェアトレードという言葉もなく、環境を守る市民運動として活動していました。石鹸利用を広めるために販売するとともに、海外の支援もと考えて、国際協力団体のアジアの手工芸品やコーヒーなどの商品も置きました。近隣の女性たちの手作り品もあれば、インドネシアやタイの服もありました。
 最初の頃は、国際協力の商品は少なく、カタログもありませんでした。そのうち、フェアトレード団体ができ、ネパリ・バザーロができ、取引相手や商品が増えていきました。ゲストを呼んで交流会を開き、貸本コーナーを設け、女性の集まる場を提供してきました。国際協力の知識は来店したお客様から聞いて勉強しました。フェアトレードも同じように学びました。自分の考え方にフェアトレードがマッチし、取り組みたいと思いました。
 ネパリ・バザーロは、ナチュラルさが特長で、トンボ玉ネックレス、アイピローなどの雑貨が人気です。コーヒーや紅茶は継続的に買ってくださる方がいます。いらっしゃるお客様には、価値を理解してもらえるよう、一人ひとりに合せて商品の背景を伝えています。
 近隣でフェアトレード専門店はここ一軒なので、講演に呼ばれることも多くあります。マスコミや大学などでフェアトレードが話題に上がるようになったのはここ4、5年のこと。岡山大学は大学祭で販売してくれ、継続した交流をしています。学校関係者も授業で扱う情報を得に来店します。牛窓や岡山の店などに卸もしています。「AMDAもあって熱心な県といわれていますが、地方にまで少しでも広まっていくように地道に活動していきたい」と語る奥津さんです。
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店主:奥津幸 〒700-0812 岡山県岡山市出石町1-8-6
Tel&Fax:086-225-4663
Open:10:00~18:00(定休日:日祝(カフェは営業)) 
HP:http://www10.ocn.ne.jp/~cotom/
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●青森県
フェアトレード×地元で楽しく健康に!
風のひろば

 「風のひろば」は、十和田アーケード商店街にある、服飾、小物雑貨、天然素材のスキンケア商品、無添加の食材などを取り揃えたお店です。宮崎季子さんが2005年に始めました。
 きっかけは13歳の頃。進路に迷っていた時にアフリカの番組をテレビで見ました。飢餓に苦しむ子の瞳が画面を通して衝撃を与えました。食べられる状況を作るため現地で農業を教えたいと考えて農業高校、大学農学部に進学しました。しかし、経済システムを学ぶうち、発展途上だからとか、怠けているから彼らが貧しいのではなく、教育、経済、政治などが複雑に絡み合っていることがわかってきました。中学生の時は途上国側の問題だと思っていたことが、先進国側の利益が優先される社会構造の問題だと気づき、援助とは何かと悩みました。卒業後、身の丈で納得のいく国際協力ができるフェアトレードを知り、地元で店を始めることにしました。
 ネパリの商品は開店前にイベント販売していた頃から扱っていました。「ネパリは不器用な魅力というのか、素朴でオリジナリティがあります。私もパンツは毎日のように履いています。食品や雑貨などは感性にピタッと会う人は迷うことなく買っていかれます。同じ服をまた買いに来る人もいて、他にない存在なのだと思います。イベントでファッションショーを行い、お客様がモデルになり盛り上がりました。高校で話をするなど開発教育にも力を入れています。1対1で伝えていくことが、遠回りのようで一番の近道だと思っています。一人ひとりが考えて行動することが世界を変えていくと信じています」と宮崎さん。
 カフェスペースは、宮崎さん一人ではなかなか手が回らずにいたところ、羽沢友佐さんが客として訪れ、ぜひシェフとして自分の腕を振るいたいと申し出て、カフェを経営することになりました。北海道でシェフとして働いていた羽沢さんは、2009年からランチも始め、自家・地場の無農薬野菜、古式醸造法の調味料やオーガニックの食材を使った、おいしい雑穀キッシュやデザートなどを提供しています。雑穀豆カレーは、ネパリのスパイスを使っています。「力のあるスパイスなので少量でもしっかりと効いて、おいしい。他のものは使えない」と絶賛してくださいました。
 5年間愛されてきたお店ですが、2011年1月にこれまでの店舗は「Farm&Cafe Orta(オルタ)」と名を変えてカフェのみとなり、販売の「風のひろば」はすぐ近くの宮崎商店内に移りました。場所は変わっても想いは同じ。両店舗合せて、どうぞ訪ねてみてください。
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店主:宮崎季子
〒034-0011 青森県十和田市稲生町14-41
Tel&Fax:0176-25-1811
Open:10:00~18:00(定休日:毎月第一日曜)

旧風の広場cafeがリニューアルオープン致しました。
「Farm&Cafe Orta(オルタ)」
店主:羽沢友佐
〒034-0011 青森県十和田市稲生町15-16中央ビル1-1
Tel&Fax:0176-25-0185
Open:12:00~21:30(定休日:月曜、但し祝日の場合は翌日)
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青森に広がるパートナーシップ・ネットワーク (vol.33)

 始まりは、ネパリ・バザーロ代表土屋春代さんと、橋本司さんとの出会いでした。八戸で行われたセミナーに参加した司さんは、そこで講演をした春代さんに深い関心を持ち、終了後の交流会で春代さんの隣に席を得て話しこみました。すっかり意気投合した二人は、その後も連絡を取り合い、時には司さんが横浜まで来て、春代さんの家に泊まりこみ、夜遅くまで話をすることもありました。春代さんやネパリ・バザーロを応援したい、自分も関わりを持ちたいと思いましたが、故郷の八戸を離れることはできず、八戸にいながら自分なりの方法でネパリを応援しようと決意し、自宅でネパリの商品を販売し、ネパリの活動を周りの人たちに紹介することから始めました。そんな司さんを2010年9月に訪ね、司さんとつながり、同じ想いでネパリを応援してくださる方々にもお会いしてきました。
文:魚谷早苗(ネパリ・バザーロ ボランティアスタッフ)

★お店で
たくさんの人においしい笑顔届けたい
 三叉路の魔よけとして庚申様が祭られた交差点にある、黄色い看板の「宇宙の贈り物」。2005年に三浦眞理子さんが始めたレストランです。一番の特長は赤ちゃん連れで安心して過ごせること。ゆったりした室内、おむつ替えも余裕でできる広いトイレ、そして月齢に合わせたバリエーションが揃っている安全な離乳食がメニューになっています。離乳食は、かかる手間は大きいのに食べる量はほんの少し。大変ですが、お母さんたちがくつろいで集える場所を提供したい、と始めました。大人のためのメニューも、添加物、農薬を除去し、厳選した調味料を使用したランチやデザートが楽しめます。三浦さんは2008年に日本雑穀協会の雑穀アドバイザーの資格を取りました。現在全国に約60名の取得者がいます。雑穀は元気の元、ブームになる少し前から注目し、研究を重ねてきました。
 ネパリとの出会いは、開店して1、2年経った頃。司さんの自宅ショップを訪ね、自然食の一環としてネパリの商品に共感し、店の一角を司さんに提供し、食品や雑貨を紹介しています。さらにスペースを広げようと計画中だとか。三浦さんの人生の目標は、支えあうこととみんなの笑顔。「笑顔を見るのに一番いいのは、食べること。店を通しての出会いが何よりうれしい」と今日も腕をふるっています。

★お店で
厳選食材を気軽に楽しめる憩いの場を目指して
 住宅街の、手入れの行き届いたアプローチを抜けて中に入ると、明るい厨房とゆったりと過ごせるカフェスペースの店内。「天使のえくぼ」は、健康を重視し、食材を吟味した、こだわりのパン屋さんです。店主の中西美智子さんは、夫の修二さんが病気をした時に仕事を辞め、看病の合間に以前からの趣味だったパンを焼いて知り合いに配っていました。アトピーの人も多かったので有機など食材は厳選しました。夫の病気から、自身の生き方などいろいろと考える中で、人々が集える場を作りたいと思い、2005年に「天使のえくぼ」が生まれました。
 始めは町中に場所を借りましたが、半年後に自宅を大改築して店舗と喫茶スペースを作りました。朝3時に起きて、無添加の野生酵母「白神こだま酵母」も使用して仕込みをしています。「こだわって作っているので、本当にニーズのある人に合わせたパンを作りたい。大勢にではなく、難しい要望を抱えた一人ひとりのオンリー・ワンでありたい」と一緒に働く修二さんが力強く語ります。山あり谷あり、紆余曲折でやってきました。ネパリの商品を置くことになったのは、近くに住んでいた司さんから聞いて、「仕事を育てる」という発想に共感したためです。「寄付には限界があります。努力してこそ未来があります。司さんと会わなければ知ることのなかった世界に出会えました」と、小柄な体と穏やかな笑顔で忙しく立ち働く美智子さんです。

★学校で
学校全体で考える貧困問題への取り組み
 司さんの夫、卓さんが4年前に八戸市立鮫中学校に赴任した際、司さんに勧められ、同僚への挨拶の品としてネパリのコーヒーを持っていきました。皆、好意的にネパリの説明を聞いてくれ、今では先生たちでお金を出し合ってネパリのコーヒーを常備しています。
 卓さんは横浜まで出向き、ネパリ主催のハンガーバンケットと貿易ゲームに参加しました。ぜひ自分の学校でもと思い、毎年生徒たちと貿易ゲームを行っています。ゲーム終了後には、どうやって解決しようとしたか、何が大切だったかなどの振り返りを行います。毎年行うので、一人の生徒が計3回行うことになり、翌年には違うことに気づいたりして、成長が見られます。研究授業でも取り上げられました。
 そうした取り組みの中、貧困問題に関心を持つ教員も増えました。何かあるごとにネパリを話に出したり、商品を持ち込んだりしたサブリミナル効果だと卓さんは笑います。
 今は、ペットボトルを集めて換金し、ベトナムの学校の成績優秀者に自転車を送るという国際支援をしています。卓さん自身もベトナムの子どもたちに会いに行き、本の少ない学校に日本の絵本を翻訳して贈っています。
 「中学生は、『正』と『悪』に悩む多感な時期にあります。『正義』に敏感で、ある意味とてもロマンチスト。国際支援やフェアトレードの考え方がスウッと入っていく子もいて、この年代にこうした機会を持つことができるのは、とても有意義なことだと感じます」と語る卓さんです。

★学校で
ファッションを通じて世界とつながる
 県立弘前実業高等学校の山内最子先生は、司さんの友人です。司さんからネパリのことを聞いて興味を持ち、なにか自分もと思いましたが、それが何なのか考えて、たどり着いたのがネパリの布地を使ってファッションショーの衣装を作ることでした。
 毎年行われている服飾デザイン科のファッションショーは今回2010年9月5日が17回目。3年生の生徒たちが、型紙から衣装製作まで行い、デパートの中のホールで自らがモデルとなってオリジナルの服を披露しました。今回のテーマは『Pray(願い)』。生徒たちは『布を通して世界平和を訴え、自分の未来に繋げられるように』という思いを込めて服作りに取り組みました。
 半年前の2月から準備が始まりました。青森県の伝統工芸である津軽塗のボタンをあしらった衣装や、修学旅行で訪れた韓国をイメージした衣装など10のテーマに分かれた一つに、ネパールの布を通し国際貢献を模索するというテーマが加わりました。生徒たちは服のデザインを考え、サンプルから布地を選びました。生成りのレース織りをグラデーションに染めた服、いろいろな柄の手織布をパッチワークした服、紙布を使った服など、天然素材の質感を活かしながら、オリジナリティあふれる服が16着完成しました。実際の布が届いてみると小さな見本の布で考えていたのとイメージが異なっていたり、手織りは解けやすくて縫うのに苦労したり、いくつも作ったリボンが同じ形にならなかったり…でも、できあがって身にまとうと、肌触りや着心地が良く、苦労も吹き飛ぶ喜びだったようです。
 ショー当日は、司さんはもちろん、「宇宙の贈り物」の三浦さんも八戸から応援に駆け付け、生徒たちの熱気に大感激でした。山内先生は、ネパールとの関わりをこれからも継続していけるよう、来年以降もネパールの布地を使ったファッションショーを計画しています。

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本物が持つ力
ネパリとの出会い

青森県立八戸第二養護学校 教諭 橋本 司

 「特別支援教育と国際協力ってなんか似ているな」と漠然と感じていた頃、春代さんが青森開発教育講座のゲストとして我が郷土八戸へ。そこでフェアトレードの仕組みを教えていただき、国内での作業の一部は福祉作業所に委託しお互いに手を取り合う仕組みを作っているという話を聞きました。さらに会場では、実際にネパリ商品を販売する機会を得、春代さんの話を聞いた人たちは次々にネパリの商品を手にし、購入する様子を目の当たりにしました。地方都市八戸で決して安くはないフェアトレード商品が次々に売れる様子を見て、「商品に語る力があればどこにでも通用する」と気づかされ、「これだ!フェアトレード商品を教育に生かそう。みんなが誇りに思う活動に取り組もう」とそのとき決心しました。
 それから十数年間、教員仲間には必ずネパリ商品を紹介したり自宅では展示会をしたりして、自分ができる範囲で活動をコツコツと続けていました。(相方には、学校で職員が飲むコーヒーをネパールコーヒーに替えてもらったり…)すると、今年の夏の終わりにうれしいニュースが。教員仲間の一人、山内最子さんが、生徒達が作り上げるファッションショーにネパリの布を教材として使い、弘前のデパートで発表してくれたのです。ネパリの布を身につけて、生徒達が向こうから歩いて来たときは感動で胸が熱くなりました。
 そして、今年の秋ようやく勤務している特別支援学校の作業学習にフェアトレード商品の値段付けを取り入れることができました。これはフェアトレード商品を置いてくださっている天使のえくぼさん、宇宙の贈り物さんのご協力があるからこそできたことです。作業学習での取り組みはまだ始まったばかりで、生徒も先生も今は、新しい活動を軌道に乗せることで精一杯ですが、彼らがいつの日か、自分の取り組みが世界につながっていることに、世界の中でもしかしたらはじめての活動をしていることに気がついて誇りに思う日を楽しみにしています。

福祉プログラムレポート (vol.33)

 サポート会員の方々の会費を中心に、応援してくださる方からの寄付などを加えて、ネパリ・バザーロは子どもたちの教育支援、女性たちの自立支援を行ってきました。ホームの子どもたちへの支援は20年、セービングファンドも開始から4年が経ちました。継続的に行っている支援についてご紹介します。

◇セービングファンド
 働いて得た収入は家族のために使って、自分の手元に残せない女性たち。まとまったお金が必要な時に自分の意志で使えるお金を貯蓄するシステムです。毎月、女性たちと職場が同額(100~200ルピー)ずつ、ネパリが倍額を出して、一人ひとりの銀行口座に積み立てていきます。

◇カンチャンジャンガ紅茶農園(KTE)奨学金
フェーズ1
紅茶農園で働くワーカーの子どもたちすべてが基礎教育を受けられるようにと2002年に始めた支援。県立神奈川総合高校有志によるワンコインコンサートの収益も資金の一部になっています。2010年度は約40万ルピーの奨学金で150名以上の子どもたちが通学しています。
フェーズ2
10年生までの基礎教育を終えた子どもたちのうち、成績優秀で意欲のある子の専門教育を支援。2007年に3名、2008年に2名、2009年には8名、2010年には4名が進学しました。看護、農業、教育、商業など、卒業後に村に貢献できる専門知識を意欲的に学んでいます。

◇キサン民族への奨学金
厳しい状況におかれている、東ネパールの少数民族キサンの子どもたち・若者たちが、必要な教育を受け自立できるよう支援を開始しました。2010年7月に若者たち7名の学費約30万ルピーの支援を行いました。

◇シリンゲのケサブさん学費
 シリンゲコーヒー協同組合の今後を担う人材育成のために、組合長のバドリさんを支える若きケサブさん(20)が農業の専門技術を学べるよう、まず、入学金6万ルピーを支援しました。

◇トゥリさん家の子どもたちの奨学金
 竹かご職人のトゥリさんの子どもたちが継続して学校に通えるよう、2006年から学費支援をしています。落ちこぼれて自信をなくした子どもたちが授業に追い付けるように依頼した家庭教師も含めて、現在3人の子どもたちを支援しています。

◇モーニングスター・チルドレンズ・ホーム
 身寄りのない子どもたち50人以上を家族同様に育てているビシュヌさん夫妻が運営するホームです。1991年に、代表の土屋春代が初めてネパールを訪れて以来生活費支援を継続。水道設置費、障害のある子の義足代などのスポット支援も必要に応じて行ってきましたが、レギュラーサポートとして現在は月50,000ルピーをお渡ししています。

1ルピー=約1.3円

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■スパイシー・ホーム・スパイシーズ
2007年1月開始。現在の対象者7名。
■コットンクラフト
2008年4月開始。現在の対象者26名。
■ヤングワオ
2009年1月開始。現在の対象者12名。
■コーヒー選別の女性たち
2010年1月開始。現在の対象者5名。
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紅茶の時間 (vol.33)

テトラバッグの紅茶が新発売。

オフィスでも、忙しい朝も、ほっと一息。
ネパールのカンチャンジャンガ紅茶農園から今年もおいしいお茶が届いています。
愛情のいっぱいこもった茶葉を、そのままおいしく、しかも手軽に飲んでいただきたくてテトラバッグの紅茶を作りました。

エベレスト、K2に次ぐ世界第3位の標高8586mのカンチャンジャンガ。そのふもと1050~1900mの高地にKTEの茶園があり、製茶工場も1600mの高地にあります。インドのダージリンに程近く、香り高い高品質な紅茶を作るために最適な環境です。ネパリ・バザーロの紅茶は、5月末頃から収穫されるセカンドフラッシュと、9月末頃から収穫されるオータムナルをお届けしています。
 テトラタイプのティーバッグには、SFTGFOP(スペシャル・ファイン・ティピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー)の最高級の茶葉を詰めています。金色をした上質の新芽「ゴールデンチップ」をたくさん含んだ一芯二葉のフルリーフの紅茶の上級グレードです。新芽とその下の2枚の淡い緑の若葉のみを摘みとる「一芯二葉」は、硬くなってきた濃い緑色のペコースーチョンを含める「一芯三葉」に比べて収穫量は激減しますが、良いお茶をつくる理想的な摘み方です。
 水と緑の豊かなヒマラヤ山脈のふもとで、自然農法で育てられ、額から籠を担いだ村の人たちによって、ひと摘みひと摘み丁寧に手摘みされた紅茶です。3分半から5分、ポットの中で茶葉が開いて、成分がしっかり抽出されるのを待ってから、お召し上がり下さい。テトラタイプのティーバッグですので、茶葉が踊り、お茶の美味しさが十二分に引き出されます。

コーヒー日和

自然農法で育て、一粒一粒手で収穫したおいしいコーヒーを是非お試しください。

農薬や化学肥料を一切使わず、自然農法で育てられたネパールコーヒー。このコーヒーは、ネパールの首都カトマンズから、バスを乗り継いでほぼ一日、そこから徒歩で8時間以上歩くと、ようやく辿り着く「シリンゲ」から届いています。急斜面の険しい山道を、農民たちはコーヒーを背負って歩きます。豊かな自然に育まれ、空気がとてもおいしい地域で栽培された、てまをかけた逸品です。

 シリンゲコーヒー協同組合のメンバーたちは、教育をほとんど受けていないことやあまりにも貧しいことを理由に、地域のなかで見下され差別されてきました。協同組合を設立し、代表となったバドリさんは、そうした偏見や差別には屈せず、コーヒーの市場を16年間細々と守ってきました。そんな彼を、カトマンズで輸出入代行会社を経営しているディリーさんとネパリ・バザーロが長年支え続けてきました。また、組合員の農民たちの団結とバドリさんに寄せる強い信頼、そして片腕となって皆をリードするケサブさんも大きな支えとなりました。見下してきた人々は、シリンゲの自立を阻もうと様々な妨害を行ってきましたが、私たちは粘り強く挑戦を続け、日本からも現地とやりとりしながら膨大な資料を作成し、ついに2010年12月に有機証明取得にこぎつけました。
 私たちの有機証明へのこだわりは、単に商品に表示することが目的ではなく、食の安全確保を目指し有機農業を推進する世界の流れを示し「良いものを作れば市場も開ける」という農民への動機づけが一番の目的です。それによって作る人、頂く人双方の安全も守られます。

こだわりの焼き菓子

ネパールでとれたコーヒー、紅茶、スパイスなどのこだわりの食材を使ったとっておきの焼菓子です。

ケーキを作っているのは障がい者地域作業所「まどか工房」のみなさんです。最後に手にするお客様に満足してもらえるようにと責任を持ってしっかりと働くことを大事にしています。オーガニックで栽培されたネパールのコーヒー、オレンジピール、紅茶、スパイスの新鮮な風味を活かすよう、国産の材料も厳選された安全な材料を使っています。愛知県にある有機農場「とりのさと農園」の、餌にもこだわって育てた鶏の元気な平飼い卵、南部地粉、洗双糖、無添加の菜種油を使用しています。
 大人気のクッキーシリーズは、障がい者地域作業所「かたくりの里」のみなさんが、ネパールのオーガニックで栽培された紅茶やコーヒー、オレンジの皮、こだわりの国産材料で作っています。年々順調にクッキーの販売数が増え、忙しくなってきました。やればやっただけ得るものがあり、それがまた次のオーダーへとつながるので皆がんばっています。2008年春号から加わり大好評のシナモンクッキー、2010年春号新登場のジンジャークッキーは、「まどか工房」で作っています。
 真面目に製品を作るとコストばかりかかってしまい、とても一般には市場が開けないことも多い時代にあって、このケーキとクッキーは、こだわりの材料とこだわりの理念を持って、事業として十分成り立ち、作る人のやる気にもつながっています。そしてそれは、ネパールのコーヒー、紅茶生産者へもつながっていくのです。

自然農法のスパイス

自然に沿った方法で作られた安心なスパイスやハーブは、いつもの料理に加えるだけでぐっと本格的な味わいに。

ネパリ・バザーロのスパイスは、街から遠くて生活が厳しい、しかし自然が豊かな地域で栽培されています。コーヒー、紅茶で身につけた技術を柱に、私たちと現地の協同組合が協力し、農家を一軒一軒歩き回り、少量ずつ集めています。スパイスは非木材の再生産植物の一種で、環境にやさしい植物です。荒地でも栽培でき、成長も早いため、わずかな土地しか持たない生産者にとって、スパイスは貴重な収入源になっています。また、私たち消費者にとっても、生産者の顔が見えているので、安心して口にすることができます。
 村で収穫されたスパイスをパッキングしているのは、首都カトマンズにあるSHS(スパイシー・ホーム・スパイシーズ)という工房です。代表のシターラ・ラジバンダリさんのもと、厳しい経済状態にある女性たちがスパイスを粉末にし、新鮮なうちに一つひとつ個袋にパッキングをして、日本に出荷しています。2007年よりネパリ・バザーロと協力し、働くワーカーたちに対して、セービング・ファンド(将来に備えて積み立てる資金)を始めました。ネパールでは、働く女性たちが、給料を自分のために使うことはほとんどありません。その上失業保険、健康保険、年金などの社会保障もない国で、将来まとまったお金を必要とする時に、きっと役立つと思います。

特集:地域開発 【コラム】うれしい再会 (vol.33)

 「カマルです!」若い男性が大きく元気な声で叫ぶと同時に飛び出してきて、到着したばかりの車から私たちの荷物を取り出し、テキパキと宿舎の部屋に運んでくれました。「2年前に1度来たことがありますが、私を覚えていますか?」と聞くと、「写真を大きくして部屋に飾って、毎日見ているから忘れるわけないよ~」とおかしそうに笑いました。

 2年前、長年の願いがかなって農園に初めて来た時、その滞在で一番印象に残ったのが、カマルさん、シャンティさんご夫婦との出会い、交流でした。ダリット(*)と呼ばれるアウトカーストのおふたりは、カースト差別をなくすKTEの試みにより採用され、宿舎の食事係と掃除係をしていました。11月中旬で朝晩はとても寒く、私はダウンジャケットを着る時もあるほどなのに、カマルさんがいつも半袖Tシャツ一枚なので「元気ね!半袖で寒くないの?」と感心して言うと「これしかないんだから、仕方ないだろ」と、少し怒ったように横を向きました。ある日、体調が悪く外出を控えて部屋にひとりで居た時、シャンティさんが遊びに来てくれ、家族のこと、子どものこと、女性の立場などいろいろな話をしました。カマルさんも覗きに来て仲間に入り、仕事の不満をこぼしていきました。 
 カトマンズに戻る朝、見送りにきてくれた少女の「あなたのカーストは?」という私への何気ない質問が、傍にいたカマルさんのカーストを皆に強く意識させ、差別する側のあまりの無意識さ、疑うことを知らない、まるで空気のように当たり前になっている差別の根深さに、いろいろ考えさせられました。翌年(2009年)秋、再訪しようとビルタモードゥまで行きましたが、マオイストによる道路封鎖が解けず、数日間待ち、諦めてカトマンズに戻りました。カマルさん、シャンティさんにお会いするのを楽しみにして2010年9月、2年ぶりに訪れ、おふたりも再会を待ち望んでくれていたことを知りました。

 おふたりの状況は変わり、シャンティさんは出産し、育児と家事に勤しむ生活です。夜間警備員になったカマルさんは仕事に誇りとやりがいを感じ、ブルーの制服もよく似合い、颯爽としてみえました。仕事も私生活も充実し楽しそうで、時々部屋に寄って声をかけてくれる時も元気一杯です。食事担当は新しく農園に来たパルシュラムさんですが、まだ慣れていないから変なものを出すと心配だと、最初、私たちの食事はカマルさんが作ってくれました。夜勤も日勤もではさすがにきつく、2日目からはパルシュラムさんがおろおろしながらも頑張って作ってくれました。
 カマルさんの家に遊びに行くと、出産したばかりの妹さんが赤ちゃんとともに産後を過ごしていました。土間が2部屋。その1間に炊事場がついている簡素な家ですが、シャンティさん、カマルさんのお母さん、近所の子どもたち、妹さんの友だちなどなどで、足の踏み場もないほど、とても賑やかなご家庭でした。

 カマルさんは長男に「スルヤ(太陽)」と名前をつけました。男の子に神々の名前をつけることがよくありますが、自分たちに”ダリット“という過酷な運命を背負わせた神の名ではなく、誰にも等しく降り注ぎ、光とエネルギーを与える「太陽」と命名したことが胸に沁みました。カマルさん、シャンティさん、スルヤ君、また会いましょう!
(文:土屋春代) 

*抑圧された者という意味で、かって「不可触民」と呼ばれ、カースト制度の最底辺に位置づけられた人々。カーストによる差別は憲法で禁止されているが、根強い偏見と厳しい差別がある。