ネパールのストライキと東松島 (5/13)

ネパールは、一日、道路ストライキで、車が走りませんでした。平野部では、もう1日続く模様です。遠方の村で染めをしたり、行く必要がある場合は、ともて困ります。このストライキが約1ケ月続いたこともありました。写真は、車が走っていない道とジャガアンダの花(紫色)が映っています。夏の花です。往路3時間を徒歩で、紅茶農園に出している奨学金の話し合いに出かけました。少しずつ財源を自立させる必要があるからです。写真は、モンタリングで現地小学校に行ったときの模様です。あの頃小さかった皆さんが、今はカレッジに行ったり、農園のスーパバイザをしたり、牛豚の健康管理などをしています。(写真は、花束で見えなくなった模様です)
このような中、東松島へ生活キットを送った方からお電話を頂きました。帰国後の5/22に伺う予定をしている方です。差し支えない部分をご紹介します。
生活支援セットを受け取りました、箱の中の物を見て、全て必要な物が揃っているので感激して涙が出ましたと仰っていました。震災前は東松山市の野蒜に住んでおられ、震災で家は基礎だけに。しばらく避難所で生活していましたが、ご高齢(90歳)のおばあさまのこともあり、賃貸住宅に移住されたそうです。ペットも命が助かり、ペットがいることで最初は仮設住宅の入居を拒否された為です。現在は仮設でもペットOKになっているそうですが、その変化を知らなかった為、仮設住宅の再申し込みをしなかったとのこと。震災前から少しずつ進行していた認知症が震災で悪化し、見ているとかわいそうだそうです。家族どうにか命は助かったけれど、その後の生活の苦しさから家族皆傷ついているようです。日が経つごとに亡くなった方々のことが思い出され、より悲しくなっていくようです、とも。避難所を出たということで、行政に頼んでも物資を受け取れず、これまで何度も断られ、何度も悔しい思いをしてきました。あまりにそういう悔しいことや悲しいことがあったので、せっかく助かった命も大切にできないと思ったりもしたそうですが、ネパリ(=支援にご協力して頂いている皆様)の支援物資を見て、こんなにもらっていいのだろうかと、またこんなに心配してくれる人達がいるということに感激し、またがんばっていこうと思ったそうです。わたしたちはおばあさんのために笑顔でいなければならないですね、と。箱に入っていたネパリの写真を見つけ、この人たちから想われていると思ってがんばろうと、おうちの電話のところに貼って頂いているそうです(私たちの方が元気をもらっています)
この物資中継をしてくれました石巻のH建築事務所Mさんから、以下のメッセージを頂いています。
「こちら石巻では、「地域」という言葉で括ってしまえば復旧復興に向かっているといえるのかもしれませんが、人それぞれに焦点を移すと、それぞれに個別の事情を抱えていて、テレビなどで報道されるような「明日に向かって前向きに」とはまだまだ言えない人もたくさんいます。そのような意味でも、今回のように個別の事情を慮っていただくピンポイントなご支援は大変ありがたいです」

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