塩釜、東松島市 (5/1-2)

塩釜には、仮設住宅が発ち始め、入居した方も出て来ています。浸水した港湾部も、かなり綺麗にされて、その努力の跡が伺えます。問題は風評被害。東京などからも「塩釜」というだけで値段が叩かれています。福島原発の海水汚染があるのでは、ということからです。現在は、そのような影響はありませんが、このまま放射能汚染が続くこと、心配は更に増します。これからが、カツオが捕れる時期。特に、塩釜は、冷凍でない新鮮さが売りです。写真は、塩釜港での片付け中の様子です。
風光明媚な松島を通り、石巻の隣に位置する東松島市の沿岸部を通り石巻に向かう道筋でずっと惨状を見続けました。止まっている仙石線の被災状況、東松島市内の、駅が破壊され、レールが消えた東名駅、地震の直後、電車を止め、運転手が誘導し、高台の避難所に避難した人々が運転手もろとも流されたという野蒜駅、どこもかしこも信じがたい光景でした。支援物資を送った方の最近の様子を聞きました。新築の家は、浸水。何時までも避難所に居るわけにもいかず、アパートを借りる余裕もなく、泥を毎日掻き出す日々を過ごしながら、1階に住んでいる(床はくずれそうになっている)とのこと。ドアも錆びて鍵もかからない。スペースがなく、同居していた義母さんは、妹さんの所に。ご主人は、先日お会いした際は、仕事がなくなったと今後のことを心配されていました。。
色々なおもいを旨に、石巻へ。そして、再び、飯野川へ。そこは、北上川を挟んで雄勝にある大川小学校とは反対側に位置します。しかし、1階の浸水で済みました。そこでお会いした方の話では、大川小学校側の堤防が壊れたことで、津波の影響による水害に襲われないで済んだ、とお話しになっていました。ご自身は、ご親戚もあることから南三陸でボランティアをされていたそうです。がれきの撤去作業です。自衛隊の方も一生懸命されている、これで良いですか、と言われると、「これで良いです」と皆さん言われるそうです。それ以上、無理を言えないと。そして、がれき撤去作業をする中で、亡くなった方を発見することも。「発見できて良かった、良かった」と言うそうです。漁師の方々は、箪笥預金が多く、そのお金はかなり盗まれてもいると色々な方から耳にします。良いことばかりではないが、これ以下はない、協力しあって、1年、1年良くなって行きますよ、と力強く言ってくれました。

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