ここは、全国にある13のハンセン病国立療養所の中で、地上戦を経験した場所。愛楽園にある50の壕のうちの1つにご案内頂きました。ハンセン病の方々が、自分も役に立ちたいと必死の思いで掘られたそうです。貝殻の化石が埋まった硬い地層です。ハンセン病の方々は、末梢神経が麻痺しているため怪我をしても気付きにくく、患部が悪化し、手足を切断せざるをえなくなった方も多くいらっしゃったそうです。1944年の「十・十空襲」の時には、900人以上の方がこの壕に避難されたそうです。横になることもできず、衛生状態もどれほどだったか…想像を絶します。
園内を説明してくださった学芸員の辻さんは、私たちに何度も何度も問いかけられました。
「平和とは何でしょうか。弾が飛び交わなければ、平和といえるのでしょうか」
「私たちは、どんな平和を目指しているのでしょうか」
1995年に設置された、糸満市にある「平和の礎」。沖縄戦で亡くなった全ての方を刻銘するという中で、愛楽園の戦争犠牲者が刻銘されたのは、2004年以降のことだったそうです。戦没者の中からも排除されていました。
園内には納骨堂があります。亡くなられてからも、社会と隔離されている方々。辻さんが、回復者の言葉をご紹介下さいました。「納骨堂に眠られている450名以上の方々。皆が故郷に戻れたら、その時やっと差別がなくなったといえるのではないでしょうか」
その隣には、「声なき子供たちの碑」がありました。日本のハンセン病政策として、強制断種・堕胎が行われ、子どもを産むことが許されませんでした。日本の植民地だった地域でも、同じ政策がとられたそうです。
昨年末に訪問した、ネパールのハンセン病の方々のコロニーを思い出しました。子どもたちがたくさんいました。(最後の写真です)
とても重い問いを投げかけられました。
国立療養所沖縄愛楽園
https://www.mhlw.go.jp/…/iryou/hansen/airakuen/site/top.html