カトマンズに戻り、課題の大学を調べるなか、生産者の家庭訪問とインタビューを実施しました。カトマンズでコーヒーの品質仕分けをしているワーカー、紙布の生産者の生活がどのように変わって来ているか、生産者と物作りをする合間、合間に実施しました。特に、コーヒーワーカーの方々は、前回に家庭訪問をしたので、今回は、仕事場で、個別にインタビューをさせて頂きました。ご家庭では聞けなかったもう一つの深刻な事情などもお聞きしました。じつは、ご主人が暴力をふるい、家にお金を入れてくれない、この仕事と長女が学校に行きながら働き入れてくれる収入で、なんとか下の長男を学校に行かせているとか・・・、故に、現在の仕事が如何に大切かを語ってくれました。残念ながら、コーヒーは、一部、市場を韓国に渡したこともあり、仕事が充分になく、多くの季節は休業補償をしているのが現実です。普段より少ないその収入も大変役立っているというお話しでした。
紙布は、当時、生産者の生活状況が大変困難な方々を中心に始まました。まだまだ課題があるにせよ、ずいぶんと生活の質も向上してきています。その様子を伺いました。
以上の様子は、カタログで詳しく、年間を通じてご紹介していく予定です。
そのコーヒー栽培を支える陰に、カーゴ事務所、ディリー(写真参照)の存在があります。ここで働く2名の女性、アンジャナ、ラキシミさんは働き者で、最後まで責任をもって仕事をします。シリンゲコーヒーの国際レベル認証に至った陰に、彼、彼女らの努力と応援がありました。ラキシミさんに関しては、カタログで詳しくご紹介して参ります。
ディリーは、お客様の招待で米国に行く機会が若い頃にありました。そして、その方の薦めで滞在中に大学を受験、見事合格しました。しかし、一方的に支援をもらうことを良しとしない彼の性分で、それを断り、言ったそうです。<span style=”color: #800040;”>「私には仕事があり、お客様から感謝されたり、感謝状を頂いたりします。これが、私の卒業証書です」</span>と言ったそうです。ネパールでは、留学組は良い所に就職し、高額の給与を手にします。実際には、頭脳流失して、ネパールに寄与していません。ここに、より大切な真実があるように感じました。
バンコックの洪水で一時帰国していたスパイス生産者のアンキットさんにもお会いしました。とてもネパリファンで、帰国したらスパイス事業を引き継ぐ意欲で一杯です。そのような若者が多く出てくることがとても重要に思い、嬉しく思いました。